セリーナ・ウィリアムズ(2018年) 基本情報 フルネーム Serena Jameka Williams 国籍 出身地 同・ 居住地 同・ パームピーチガーデン 生年月日 1981-09-26 (38歳) 身長 175cm 体重 70kg 利き手 右 バックハンド 両手打ち ツアー経歴 デビュー年 1995年 ツアー通算 96勝 シングルス 73勝 ダブルス 23勝 生涯獲得賞金 92,715,122 アメリカ合衆国ドル 4大大会最高成績・シングルス 優勝(2003・05・07・09・10・15・17) 優勝(2002・13・15) 優勝(2002・03・09・10・12・15・16) 優勝(1999・2002・08・12・13・14) 優勝回数 23(豪7・仏3・英7・米6) 4大大会最高成績・ダブルス 優勝(2001・03・09・10) 優勝(1999・2010) 優勝(2000・02・08・09・12・16) 優勝(1999・2009) 優勝回数 14(豪4・仏2・英6・米2) 4大大会最高成績・混合ダブルス 準優勝(1999) 準優勝(1998) 優勝(1998) 優勝(1998) 優勝回数 2(英1・米1) 国別対抗戦最高成績 優勝(1999) 優勝(2003・08) キャリア自己最高ランキング シングルス 1位(2002年7月8日) ダブルス 1位(2010年6月7日) 獲得メダル 女子 金 ダブルス 金 ダブルス 金 シングルス 金 2012 ロンドン ダブルス 2019年9月10日現在 セリーナ・ジャメカ・ウィリアムズ( Serena Jameka Williams, - )は、・出身の女子プロ選手。 身長175cm、体重70kg。 右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 これまでにWTAツアーでシングルス73勝、ダブルス23勝を挙げている。 無類の強さで圧倒的な成績を残してきたことから、史上最高の女子テニスプレーヤーとも称される。 自己最高世界ランキングはシングルス・ダブルス共に1位。 2013年2月に31歳4ヶ月24日で世界ランキング1位に復帰したことにより、 WTA歴代最年長のナンバーワンプレイヤーとなり、2017年1月に再度1位に復帰した。 男女を通じてシングルス・ダブルスともに「」を達成した唯一の選手である。 姉とともに、女子テニス界にパワーテニスを持ち込んだ選手として知られる。 この姉妹は、特に有色人種の子供から憧れの存在として人気を博している。 生涯獲得賞金は8000万ドルを超え、すべての女子プロスポーツ選手を含めて史上1位。 合計優勝回数 39回 は男女通して現役1位・歴代3位、 23回 は歴代2位、オープン化以降では歴代1位。 ビーナス・ウィリアムズと組んだ優勝回数はチーム歴代3位。 2002年から2003年及び2014年から2015年に史上5人目のグランドスラム4大会連続優勝達成。 またダブルスでも2009年から2010年にかけて達成している。 選手経歴 [ ] デビューから全米オープン初優勝まで [ ] 5人姉妹の末娘であったセリーナは、幼年期から4女の姉を上回る素質があると評されていた。 にはシングルスに先立ち、との混合ダブルス部門において()と組み、2大会連続優勝を遂げる。 ので、「17歳11ヶ月」の若さで4大大会初優勝を達成。 決勝でを 6-3, 7-6 で破り、の( - )以来2人目の女性チャンピオンとなった(ギブソンはと1958年の全米選手権で大会連覇を達成した人物である)。 姉よりも早くシングルス初優勝を決めたが、ビーナスはの選手権で妹に追いついた。 2002年 2000年-2003年 グランドスラム4連続優勝 [ ] セリーナはその後、しばらく姉ビーナスの活躍の陰に隠れていた。 ので初めて「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させるが、最初の時は姉に 2-6, 4-6 で敗れている。 のからのまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させ、妹のセリーナが4連勝を果たした。 4大大会の4連勝は以来6人目の偉業達成となった(グラフはに女子テニス史上3人目の「」を達成したが、からまでの4連勝も記録している)。 しかしの準決勝でに敗れて連勝記録が止まる。 続く選手権でもう1度姉妹対決の決勝を戦い、この時も妹のセリーナが勝利した。 その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場した。 2004 - 2007年 怪我、そして復帰 [ ] セリーナはの選手権決勝で17歳のに敗れ、大会3連覇を逃した。 しかしの決勝でを破り、2年ぶり2度目の優勝を果たす。 は故障のため試合出場が少なかったが、のでは世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がった。 決勝で(3年前のウィンブルドン決勝で敗れた)を 6-1, 6-2 で破り、3度目の全豪優勝を達成。 これでセリーナの4大大会シングルス優勝は「8勝」となった。 全豪オープンの女子シングルスでノーシードから優勝した選手は、の優勝者()以来である。 2008 - 2010年、再び世界ランキング1位に [ ] において、セリーナとビーナスは5年ぶりに「4大大会の姉妹対決決勝」を復活させた。 セリーナはこの大会の第6シードとして、準々決勝で()、準決勝で()を破って勝ち進んだ。 決勝戦では姉のビーナスに 5-7, 4-6 のストレートで敗れ、以来の4大大会シングルス優勝を逃した。 姉ビーナスの勝利は以来となる。 の女子シングルスでは、2人ともベスト8止まりに終わった。 では準々決勝が姉妹対決になり、セリーナがビーナスに勝利を収める。 6年ぶりの決勝戦で、セリーナは()を 6-4, 7-5 で破り、全米オープン女子シングルスで6年ぶり3度目の優勝を達成した。 にて で、セリーナは決勝でを 6-0, 6-3 で圧倒し、2年ぶり4度目の全豪優勝を決めた。 これでセリーナの4大大会女子シングルス優勝は「10勝」となり、9勝のとを抜いて単独8位に躍進した。 で、セリーナはビーナスとの2年連続の姉妹対決決勝を 7-6, 6-2 で制し、6年ぶり3度目の優勝を決めた。 これで4大大会の姉妹対決決勝戦は、妹セリーナの「6勝2敗」となった。 では準決勝で()との試合中、ゲームカウント 4-6, 5-6 の15-30となったところで、フットフォルト(2ndサーブ)を取られ(この時点で15-40)、その判定への不満から線審に暴言を吐き、ポイントがクライシュテルスに入り、そのまま敗れた(セリーナは第1セットを取られた瞬間もラケットをコートに叩き付け破壊しており、注意が与えられていた)。 この一連の行動にテニス界史上最高額の罰金8万2500ドルの処分を受けている。 とでそれぞれ優勝し、連覇を達成したが、ウインブルドン以降故障により欠場を続け、世界ランキング1位を明け渡すことになった。 2011年 故障からの復帰 [ ] 前年から引き続き脚の負傷により休養していたが、による入院も重なり 、シーズン前半は全く試合にでることができず、ようやくウィンブルドンの前哨戦で復帰した。 この大会では2回戦で敗退し、ディフェンディングチャンピオンだったにおいて4回戦で敗退したことにより、前年獲得したポイントを失い、ランキングは100位以下にまで下降した。 しかし、夏のハードコートシーズンにおいてとで連勝し、では第28シードで出場し、3年ぶりに決勝進出を果たした。 決勝まですべてストレートで勝ちあがり、下馬評ではセリーナが圧倒的有利とされたが、に 2-6, 3-6 で完敗した。 この試合中、セリーナがボールを放った後に「カモン」と大きな声で叫んだことを相手のプレーへの妨害と取られ、ポイントペナルティによりゲームを失った。 この判定に対してセリーナは審判に対して執拗に非難する言葉を浴びせ、大会後その行為に対して2000ドルの罰金が科せられた。 その後試合に出場することなく、シングルス22勝3敗、ツアー2勝、ランキング12位でシーズンを終えた。 2012年 キャリアゴールデンスラム達成 [ ] では4回戦で敗退するなどシーズン序盤は早いラウンドでの敗退が目立ったが、クレーコートシーズンに入ると、と連勝し、でも優勝候補の最有力候補と見られていたが、1回戦でフルセットで敗れた。 この敗戦は彼女にとって初めてのグランドスラム大会での1回戦敗退であった。 しかし、決勝でに6-1, 5-7, 6-2で勝利し、2年ぶり5度目の優勝を果たした。 これにより4大大会女子シングルス優勝は14回になった。 同年の女子シングルスでは、決勝でに6-0, 6-1で完勝し、シングルスで初の金メダルを獲得した。 またこの勝利によりシングルスでの生涯ゴールデンスラムを達成し、男女を通じて史上初めてシングルス、ダブルスのゴールデンスラム達成者となった。 なお、女子ダブルスでは連覇を果たした。 さらにでは決勝で世界ランキング1位のを6-2, 2-6, 7-5で下し、全米オープン4度目の優勝を飾った。 最終戦のでも決勝でを6—4, 6—3で破って3年ぶり3度目の優勝を遂げ、2012年シーズンをシングルスツアー7勝、通算58勝4敗、世界ランキング3位で終えた。 勝ち星、勝率ともにグランドスラム3冠を達成した2002年を上回り、キャリアハイといってもよい年となった。 2012年ロンドン五輪で優勝したセリーナ 2013年 ダブルキャリアグランドスラム達成 [ ] シーズン初戦のブリスベーンの大会にて、決勝でをストレートで破り優勝した。 では4回戦までに合計8ゲームしか失わず好調に勝ち進んでいたが、準々決勝にてアメリカの新鋭にフルセットで敗れ、ベスト8に終わった。 次のドーハの大会で準決勝に進出したことにより、翌週2月18日付の世界ランキングで1位に返り咲くことが決まった。 31歳4カ月でのランキング1位はが1985年に記録した30歳11ヶ月の史上最年長記録を塗り替えることとなった。 5月12日に行われたの決勝にてに勝利したことにより、シングルスのツアー通算50勝を達成した。 またセリーナの赤土のクレーコートでの優勝は2002年の以来である。 次のの決勝でを6-1、6-3で破り、2002年以来の2度目の優勝を飾った。 この勝利によりツアー4大会連続優勝、マッチ連勝を24まで延ばした。 この連勝記録は彼女が2002年と2003年にそれぞれ記録した自己最高の21連勝を上回るものである。 では準々決勝のに対して1セットを失ったが、それ以外は全てストレート勝ちで決勝へ進んだ。 決勝では第2シードのを6-4, 6-4のストレートで破り、2002年以来11年振り2度目の優勝を飾り、グランドスラムのシングルスタイトルを16とした。 また31歳256日での優勝は、全仏オープンではオープン化以降で最年長となり(グランドスラムでは1990年のウィンブルドン優勝が最年長)、11年振りの優勝は全仏オープンでの最長記録となった。 さらにこの勝利により自己の連勝記録を31に延ばした。 ディフェンディングチャンピオンとして臨んだでは、上位シード選手達が次々と敗れる中、圧倒的な優勝候補と見られていたが、4回戦でドイツのにフルセットで敗れ、2連覇はならなかった。 また自己最高を記録していた連勝記録は34でストップした。 ウィンブルドン後の初戦のスウェーデンオープンでは決勝で地元のを6-4, 6-1で破り優勝し、今季ツアー7勝目となった。 8月に行われたロジャーズ・カップでは、準決勝の戦の第1セットでタイブレークに持ち込まれた以外は危なげなく勝ち上がり、決勝戦ではノーシードのを6-2、6-0で下し優勝した。 これで今期8勝目となり、2002年に記録したシーズン自己記録にならんだ。 またこの勝利によりWTAツアーでのタイトル獲得数を54とし、を抜いて単独5位となった。 では、準々決勝でに1ゲームも与えず完勝するなど、わずか16ゲームしか失わずに決勝へ進んだ。 決勝は2年連続でとの対戦となり、昨年と同様にフルセットの接戦の末、7-5, 6-7, 6-1でアザレンカを破り優勝した。 全米オープンは5度目の優勝となり、グランドスラムでは通算17勝目となった。 またオープン化以降の全米オープン最年長優勝者となり、優勝賞金の260万ドルに加えて、全米オープンシリーズの優勝ボーナス100万ドルを加えた360万ドルを獲得した。 これで今シーズン9勝目、通算では55勝目となり、と並び4位タイとなった。 では決勝でを6-2、6-2で危なげなく下し、年間10勝目を挙げた。 今期の最終戦となったではラウンドロビンで3戦全勝し、準決勝ではを、決勝ではをそれぞれフルセットで下し、以来の大会連覇を達成した。 2013年シーズンはグランドスラムは全仏オープンと全米オープンの2勝にとどまったものの、11タイトル、78勝4敗、勝率95%、獲得賞金1238万ドルとそれぞれ自己最高の成績を残した。 特に獲得賞金は女子としては史上初めて1000万ドルを超え、男子を含めても史上4人目の快挙となった。 また生涯獲得賞金額も5000万ドルを突破した。 2014年 全米オープン3連覇 [ ] 2連覇中のにて4年連続で決勝進出。 を破り3年連続優勝となった。 グランドスラム優勝18回は歴代5位タイ記録となり全米オープン優勝6回はと並び歴代最多記録となった。 また全米3度目の1セットも落とさずに優勝を成し遂げ、と並び最多記録となった。 2015年 2度目の「セリーナ・スラム」 [ ] にて決勝でを倒し5年ぶり6度目の優勝を果たした。 グランドスラム優勝19回は と並び歴代3位記録。 4月1日準々決勝にて史上8人目となる通算700勝達成。 決勝でに勝利し3連覇8度目の優勝。 で2年ぶり3度目の優勝。 グランドスラム優勝20回はヘレン・ウィルス・ムーディを抜いて歴代単独3位記録となる。 全豪・全仏連続優勝は初。 グランドスラム3大会連続優勝は2002年以来13年ぶり。 2015年にて決勝でをストレートで倒して3年ぶり6度目の優勝。 グランドスラム4大会連続優勝は2003年以来12年ぶり。 自身2回目の「セリーナ・スラム」を達成した。 では準決勝でに6-2, 4-6, 4-6と逆転負けし、シュテフィ・グラフ以来の年間グランドスラムを逃す。 2016年 グランドスラム最多優勝 [ ] で2年連続で決勝に進出するがのに4-6, 6-3, 4-6で敗れ2年連続7度目の優勝を逃した。 またでも決勝に進出するが、のに5-7, 4-6で敗れグランドスラム2大会連続の準優勝に終わると共に、ムグルサに昨年ののリベンジを許す形となった。 では決勝でケルバーを7-5, 6-3で降して2年連続7度目の優勝、オープン化以降で最多タイとなるグランドスラム通算22勝目を挙げた。 しかし2連覇が懸かったでは3回戦でに敗れる。 でも準決勝でに2-6, 6-7 5 で敗れ、の記録に並ぶ186週連続で在位した世界ランキング1位の座を、全米オープンで優勝したケルバーに明け渡すことになった。 12月、かねてから交際していたの共同創業者、 ()と婚約した。 2017年 妊娠によるツアー離脱 [ ] では、決勝で久しぶりのとの対決を制し、と22度で並んでいたオープン化以降の四大大会優勝記録を更新し、単独最多の23度目の優勝を成し遂げた。 その後は膝の怪我を理由として ツアーから離れていたが、4月19日(現地時間)に自身のに「20 weeks」と題した写真を投稿。 水着姿のセリーナはお腹が大きくなっており、題名からしてを疑わせるには十分すぎた。 投稿はすぐに削除されたが、コピーが世界中を駆け巡り、数時間後に関係者が妊娠の事実を認めた。 これにより残りのシーズンは全休することとなった。 ちなみに当人の「20週」の申告が正しいものとするならば、全豪オープン時にはすでに妊娠していたことになる。 後日、セリーナはイベントに出席した際、上記の投稿は間違って投稿してしまった「アンフォーストエラー」であったことを告白した。 元々は経過記録用に撮っていたものであったという。 投稿後数十分程度で着信記録が激増し、不審に思って気がついたが、後の祭りであった。 しかし本人は数日中に公表するつもりであったと主張した。 またこの際、全豪開幕直前に妊娠が判明したことも明らかにした。 9月1日、フロリダ州の病院で女児を出産した。 地元メディアのレポーターによると、女児は約3000グラムで生まれ、母子ともに健康だという。 歌手のは、出産を祝福して、マタニティドレス姿のセリーナの画像をInstagramに投稿した。 しかし実際は一歩間違えば死に至る、命懸けの出産であったことを2018年2月に本人がへの寄稿で明らかにしている。 妊娠期間中こそ順調であったが、子供の心拍数の急低下で緊急となった。 命懸けとなったのはその後で、産後すぐ、持病の肺塞栓症の悪化で咳が止まらなくなり、その結果傷口が開いて再手術となったが、その際に巨大ができていることが判明した。 この治療のため、6週間の療養を余儀なくされたという。 2018年 ウィンブルドン・全米オープン準優勝 [ ] 復帰後初としてに出場したが、3回戦で姉のビーナスに敗戦。 では4回戦を前に胸筋の肉離れにより棄権し、との22度目の対決とはならなかった。 ダブルスでは姉のビーナスと出場し、3回戦で敗れた。 第25シードで迎えたでは準決勝で第13シードのを6-2, 6-4のストレートで下した。 決勝では、第11シードのに3-6, 3-6のストレートで敗れ準優勝となった。 自身8度目の優勝とはならなかったが、セリーナの復活を強く印象づける大会となった。 地元開催の全米オープンでは、決勝進出。 しかし決勝の戦では第2セット第2ゲームで、禁止されているコーチング行為(観客席から手でサインをすること)があったとして警告、第5ゲーム終了時にラケットを破壊したことによるポイント失陥(これにより第6ゲームは0-15開始に)、さらに第7ゲーム終了時の主審への暴言でゲームペナルティを受け、第8ゲームをプレイすることなく大坂のホールドとされるなど荒れに荒れた末に2-6, 4-6で敗れ、ウィンブルドンに続き準優勝に終わった。 性差別だと主張した試合中の激高は物議を醸し 、(USTA)はこれらの行為により罰金合計17,000米ドルを科す(賞金から差し引く)と発表している。 そのままシーズンを終えた。 一時期451位まで落ちていた順位は16位まで戻った。 でのウィリアムズ姉妹 姉と組んだ4大大会ダブルス優勝は14度あり、オリンピックでも・・の3大会で金メダルを獲得している。 姉妹とも五輪通算4個の金メダルを獲得しており、これは男女通じてテニス選手としては史上最多である。 はで6年ぶり3度目の優勝をし、からで4大大会女子ダブルス4連勝を達成した。 プレースタイル [ ] セリーナ・ウィリアムズは姉のビーナスとともに、女子テニス界にパワーテニスを持ち込んだ選手であると言われる。 特に、サービスのスピードは男子選手並みである。 非常にパワフルなサーブを打つ選手で、1試合を通してサーブでウィナーを取れるという、女子では珍しいタイプである。 重要なポイントでサービスエースでポイントを取ることができることが他の選手と違う有利な点である。 ストロークではスウィング始動の早さに特徴があり、フォア・バックともに早く準備をして、そこから余裕を持ってタイミングをつかんでいく。 そのためリターンにも強い。 両手バックハンドは左手のフォアハンドという感覚に近く、バックでもフォアと同じような感覚で強打する。 正面からまともにボールをとらえて引っぱたき、ボールを思いきりつぶす感覚で打つ。 :7勝(2003年・2005年・2007年・2009年・2010年・2015年・2017年)• :3勝(2002年・2013年・2015年)• :7勝(2002年・2003年・2009年・2010年・2012年・2015年・2016年)• 大会 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 通算成績 A A A A 87—12 A A A A A 65—13 A A A 98—12 A A A 101—13 脚注 [ ]• thetennisdaily、2018年9月16日閲覧。 テニスデイリー. 2019年11月6日閲覧。 2017年1月30日. tennismagazine. 2019年9月9日閲覧。 Serena Williams recounts embolism scare: 'I could not breathe'• nikkansports. com. 2019年11月6日閲覧。 2017年1月30日閲覧。 AFP通信. 2017年4月20日. 2017年5月30日閲覧。 AFP通信. 2017年4月20日. 2017年5月30日閲覧。 Techinsight. 2017年4月26日. 2017年5月30日閲覧。 スポーツニッポン. 2017年4月27日. 2017年5月30日閲覧。 ハフポスト. 2017年9月2日. 2017年9月3日閲覧。 セリーナ・ウィリアムズ 2018年2月20日. 2018年3月9日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年9月9日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年9月9日閲覧。 www. thetennisdaily. 2018年9月10日閲覧。 www. afpbb. com. 2019年9月9日閲覧。 Reuters. 2019年8月12日. エキサイトニュース. 2020年1月24日閲覧。 www. cbsnews. com. 2019年11月6日閲覧。 0年代・10年代• 90年代・0年代・10年代• すべての4大大会で各3回以上優勝• 全米オープン. 2011年9月13日時点のよりアーカイブ。 2012年8月26日閲覧。 90年代・0年代・10年代 外部リンク [ ]• - のプロフィール (英語)• - のプロフィール (英語)• - のプロフィール (英語)• - バイオグラフィーとオリンピックでの成績 (英語)• serenawilliams - (英語)• serenawilliams - (英語)• ウィキメディア・コモンズには、 に関するカテゴリがあります。 記録 先代: WTA生涯獲得賞金王 2009年2月2日— 次代: -• 1975-1985 計260週• 1976 計2週• 1980 計22週• 1987-1997 計377週• 1995 計12週• 1997-2001 計209週• 1998-2006 計98週• 2001-2002 17週• 2002 計11週• 2002-2017 計319週• 2003-2011 計20週• 2003-2008 計117週• 2004-2006 計39週• 2005-2012 計21週• 2008 計12週• 2008-2009 計18週• 2009 計26週• 2010-2018 計71週• 2012-2013 計51週• 2016-2017 計34週• 2017 計8週• 2017 計4週• 2017-2019 計64週• 2019 計25週• 1992 — 計4週• 2000 — 計7週• 2000 — 計3週• 2000 — 計14週• 2003 — 計4週• 2010 — 計8週• 2010 — 計8週• 2011 — 計18週• 2011 — 計10週• 2011 — 計10週• 2014 — 計20週• 2014 — 計5週• 2017 — 計32週• 2017 — 計6週• 2018 — 計5週• 2018 — 計5週• 2018 — 計13週• 2018 — 計2週• 2018 — 計2週• (1968年)• (1969年・70年)• (1971年)• (1972年)• (1973年)• (1974・75年)• (1976年)• (1977年)• (1978年)• (1979・80年)• (1981年)• (1982年)• (1983年)• (1984年)• (1985年・86年)• (1987年・88年)• (1989年)• (1990年-92年• (1993年)• (1994年)• (1995年・96年)• (1997年)• (1998年)• (1999年)• (2000年)• (2001年)• (2002年)• (2003年)• (2004年)• (2005年-07年)• (2008年)• (2009年)• (2010年)• (2011年)• (2012年)• (2013年)• (2014年)• (2015年)• (2016年)• (2017年)• (2018年)• (1968年)• (1969年)• (1970年)• (1971年)• (1972年・73年)• (1974年)• (1975年)• (1976年)• (1977年)• (1978年・79年)• (1980年)• (1981年)• (1982年-87年)• (1988年・89年)• (1990年)• (1991年-93年• (1994年)• (1995年・96年)• (1997年)• (1998年)• (1999年)• (2000年・01年)• (2002年・03年)• (2004年)• (2005年)• (2006年)• (2007年・08年)• (2009年・10年)• (2011年)• (2012年)• (2013年)• (2014年)• (2015年)• (2016年)• (2017年)• (2018年)• 1985 開催なし• (1972年-73年)• (1974年)• (1975年)• (1976年)• (1977年)• (1978年-79年)• (1980年)• (1981年)• (1982年)• (1983年-86年)• (1987年)• (1988年)• (1989年)• (1990-92年)• (1993年)• (1994年)• (1995年-96年)• (1997年)• (1998年)• (1999年)• (2000年)• (2001年)• (2002年-03年)• (2004年)• (2005年)• (2006年-07年)• (2008年)• (2009)• (2010年)• (2011年)• (2012年-14年)• (2015年)• (2016年)• (2017年).
次の(CNN) 昨年のテニス全米オープン決勝で大坂なおみ選手に敗れたセリーナ・ウィリアムズ選手(37)が9日、米ファッション誌ハーパーズバザーに寄せたエッセーの中で、当時を振り返って大坂選手に謝罪した。 昨年の決勝戦では大坂選手が初の4大大会シングルス優勝を果たした。 しかしウィリアムズ選手が試合中に暴言を吐くなどして荒れ狂ったことから、表彰式はブーイングの嵐となり、大坂選手は涙を流した。 この時を振り返ってウィリアムズ選手は、「私からゲームが奪われただけでなく、決定的な勝利の瞬間がもう1人の選手から奪われた。 彼女の長い成功に満ちたキャリアの中で、最高に幸せな思い出の1つとして記憶されるべき瞬間だった」と回想した。 続いて大坂選手にこう語りかけている。 「コートでも言った通り、私はあなたのことを誇りに思い、本当に申し訳なかったと思っています」「私は過去も現在も未来もずっとあなたのために喜び、あなたを支えます。 私は決して、もう1人の女性から輝きを奪いたいとは思いません。 それが黒人女性選手であればなおさらです。 あなたの未来が待ち遠しい。 信じてください、私はずっと、大ファンとして見守っています。 今日もこれからもあなたの成功のみを祈ります。 もう1度言います、あなたのことを心から誇りに思うと。 愛を込めて、あなたのファン、セリーナより」 ウィリアムズ選手はさらに、大坂選手から返ってきた言葉に涙を流したとも打ち明けた。 大坂選手はウィリアムズ選手に、「人は怒りを強さと誤解することがあります。 その2つの区別がつかないから」「あなたのように自分自身のために立ち上がった人は誰もいません。 あなたはずっと、先駆者でいてください」と声をかけたという。
次の本名 セリーナ・ジャメカ・ウィリアムズ name Serena Jameka Williams 出身 アメリカ・ミシガン州 生年月日 1981年9月26日 身長 175cm 利き手 右 生涯獲得賞金 $88,692,106(約96億2200万円) ラケットメーカー ウィルソン セリーナのプレーの特徴 セリーナの特徴は一言で言えます。 それはパワーです。 ウィリアムズ姉妹が女子テニスにパワフルさを持ち込んだ最初の選手と言われています。 女子選手の枠を超えたパワーを持っており、サーブ、リターン、ストロークのフォアもバックも全てのショットがパワフルです。 そのパワフルなショットにより、サービスエースやストロークのウィナーを量産し相手を力で押し切ってしまいます。 セリーナの主な記録・タイトル キャリアグランドスラム シングルス 3回達成 キャリアグランドスラム ダブルス 2回達成 キャリアゴールデンスラム シングルス 男女合わせて4名のみ キャリアゴールデンスラム シングルス ダブルス両方 男女共に史上初 キャリアスーパースラム 男女合わせて3名のみ ノン・カレンダー・イヤーグランドスラム 2回達成 男女共に史上初 世界1位連続保持 186週 1位タイ 世界1位通算在位 319週 単独3位 グランドスラム優勝数 23回 単独2位 全豪オープン優勝回数 7回 歴代2位 ウィンブルドン優勝回数 7回 3位タイ 全米オープン優勝回数 6回 オープン後1位タイ その他まだまだ書ききれないほどの記録を保持しています。 【完全版】セリーナ・ウィリアムズの経歴 テニス選手セリーナ・ウィリアムズの始まり 5人姉妹の末っ子として生まれたセリーナ。 テニスは1歳年上の姉ヴィーナスと3歳の時にはじめました。 のちにこのヴィーナス・セレナ姉妹が女子テニス界の頂点に君臨します。 きっかけは父親がテレビでテニス選手が大金を受け取るところを見たところから始まり、ヴィーナスとセレナをテニス選手にすることを決めます。 父から独学でテニスを学びながら2人はテニスの練習に励みました。 大坂なおみ選手のテニスをはじめたきっかけに似てるモウ。 彼女は父親がテレビでウィリアムズ兄弟が優勝したのを見て姉のマリとともに父親の独学でテニスをはじめたモウ。 16歳でプロへ 驚異の新人 1998年にプロでデューしグランドスラム出場します。 そこですぐにウィンブルドン選手権と全米オープンの混合ダブルスで2連勝を飾ります。 そしてよく1999年プロ2年目の17歳でパリ・インドア選手権でアメリ・モレスモを破り初優勝、そして現在のBNPパリバオープンに当たるエバート・カップでシュテフィ・グラフを破り大会2勝目、その年のグランドスラム全米オープンでマルチナ・ヒンギスを破り17歳と11ヶ月でグランドスラム初優勝を果たした。 これは史上2人目の黒人の優勝者でもありました。 姉の活躍で優勝できず。 初の姉妹対決。 2000年、2001年は姉のヴィーナスが結果をだし、2000年2001年とウィンブルドン選手権2連覇、全米オープン2連覇を果たしました。 セリーナはベスト8までは行くものの、姉のヴィーナスやM. ヒンギス、ダベンポートといった当時のトッププレイヤーに破れてしまっていました。 2000年の全米オープンでは初のウィリアムズ姉妹での決勝になり、ヴィーナスに破れて準優勝となっています。 2000年に行われたシドニーオリンピックでヴィーナスがシングルスで金メダル、ダブルスでヴィーナス・セリーナペアが金メダルを獲得しています。 ウィリアムズ姉妹の時代到来 2002年からからセリーナの時代がきました。 なんと2002年の全仏オープンから2003年の全豪オープンまで4大会連続優勝、そして全て決勝はヴィーナスとの姉妹対決といったウィリアムズ姉妹の黄金時代を迎えました。 この4大会連続優勝で早々とキャリアグランドスラム達成とノン・カレンダー・イヤーグランドスラムを達成してしまいました。 2003年の全仏オープンではベスト4で敗退したが、ウィンブルドン選手権で再びウィリアムズ姉妹の決勝となり、セリーナが勝ち優勝している。 その直後ヴィーナス、セリーナはともに体調不良を原因に2003年の大会を欠場しています。 2003年9月ヴィーナス、セリーナの姉、3女が事件に巻き込まれ死亡した。 このことが原因と考えられています。 ウィンブルドン選手権では決勝でマリア・シャラポワに敗れ準優勝。 全米オープンでもベスト8止まりでした。 2005年の全豪オープンで再び優勝したが、その後怪我の影響で出場機会が減り2006年も結果を残せていない。 この間に世界ランキングは81位まで落ちてしまっています。 2007年世界ランキング81位から全豪オープンノーシードで優勝を再び果たしました。 この年行われた北京オリンピックでもベスト8で敗退しました。 しかしダブルスではヴィーナスとペアを組みオリンピックで2度目の金メダルを獲得しています。 しかしその年のウィンブルドン選手権で5年ぶりの決勝戦姉妹対決になり、ヴィーナスがセリーナを破り優勝、セリーナは準優勝。 続く全米オープンで優勝すると2009年全豪オープン優勝。 ウィンブルドン選手権は2年連続の決勝を姉妹対決で今度はセリーナが制し優勝。 2010年も全豪オープンとウィンブルドン選手権をともに2年連続で優勝を飾りましたが、再び怪我でウィンブルドン選手権以降欠場し、さらに肺血栓塞栓症による入院も重なり2011年のウィンブルドン選手権前しょう戦まで欠場が続いた。 世界ランキングは再び100位以下に降格しました。 しかしこの年の全米オープンでは準優勝をしています。 しかし迎えた全仏オープン、彼女初のグランドスラム1回戦敗退をしてしまいます。 しかし、またここからウィンブルドンと全米オープンを優勝。 さらにこの年行われたロンドンオリンピックでシングルス、ダブルスともに金メダルを獲得し、シングルス、ダブルスともにキャリア・ゴールデンスラムのダブル達成を果たした。 これは男女通じ史上初の快挙でした。 2013年も全仏オープン、全米オープンを優勝した。 全仏オープンは2002年以来の2度目の優勝で、これにより2度目のキャリアグランドスラムの達成となりました。 この年はグランドスラムの他にWTAツアー11勝し、勝率は95%に達しました。 獲得賞金も年間1,000万ドルを超えました。 これは女子で史上初めてのことでした。 2014年、前半戦は4回戦敗退でまりでしたが、この年の全米オープンから2015年のウィンブルドン選手権まで4連勝を飾り、2度目のノン・カレンダー・イヤーグランドスラム達成とともに、3回目のキャリアグランドスラムも達成しました。 しかし全米オープンでは準決勝で敗れ、自身初の年間グランドスラムは逃してしまいました。 2015年の好調のまま、全豪オープン準優勝、全仏オープン準優勝、ウィンブルドン優勝と続きますが、またしても全米オープンベスト4でした。 これによりグランドスラム優勝回数が23回になり、シュテフィ・グラフの23回を抜き単独2位へ。 単独1位のマーガレット・コートが持つ24勝まであと1勝となりました。 しかしその後、怪我を理由に大会を欠場していましたが、妊娠が発覚し2017年の大会全てを欠場しました。 この間、2017年9月1日に女児を出産しました。 2018年3月のBNPパリバ・オープンで復活しましたが3回戦でヴィーナスに敗れて敗退。 全仏オープンは怪我により棄権しました。 ウィンブルドン選手権で決勝まで進出し準決勝で終わったが、復活を印象付けました。 そして迎えた2018年の全米オープン、決勝で当時二十歳の大坂なおみに敗れて準優勝に終わりました。 2019年は全豪オープンではベスト8、全仏オープンでは3回戦敗退となっています。 ウィンブルドン選手権と全米オープンでは共に惜しくも準優勝を果たしました。 今後、あと1勝で女子シングルスグランドスラム優勝回数が24勝になり歴代1位タイとなります。 この勢いで行けばこの記録は時間の問題で、単独1位の25勝もあり得る話です。 SW、セリーナ・ウィリアムズのシグネチャーモデルで、なんと女子選手のシグネチャーモデルはシュテフィ・グラフ選手以来20年ぶりだそうです。 「ブレード」は「しなり」「柔らかさ」「パワー」を体現するために作られたモデルでウィルソン契約ツアー選手の使用率がNo. 1のモデルのようです。 ウェア アパレル ウェアもナイキとオフホワイトによるコラボ商品を使用しています。 彼女のあの独特なファッショナブルなウェアは入手困難です。 セリーナのファッションブランド セリーナ・ウィリアムズ自身もファッションブランドを立ち上げているようですね。 その名も「Serena セリーナ)」。 長らくファッションに興味を抱いており、18歳の時にテニスの試合を控えファッションスクールに通ったこともあったようです。 そんな彼女が長年の夢をまた1つ叶えて、自身のブランドを立ち上げました。 女性が気持ちよく着られる素材で作られており、女性を勇気付けるメッセージがプリントされたアパレルブランドになっているようです。 セリーナの最大のライバルたち セリーナの最大のライバルは、姉のヴィーナスではないでしょうか。 小さい頃から共にテニスをはじめ、一緒にプロになり共にテニス人生を歩んできました。 そして、幾度もグランドスラムの決勝で優勝を奪い合い、お互いにグランドスラムの優勝を勝ち取ってきた。 彼女以上のライバルはいないと思います。 そして、セリーナの記録の面でのライバルはシュテフィ・グラフです。 グラフもグランドスラム4回達成やゴールデンスラム達成者、世界ランキング1位在位連続期間はセリーナと並んで1位タイ。 世界ランキング1位在位期間はセリーナが超えられない377週の記録をもち、さらにセリーナが達成できていない年間グランドスラムと、年間ゴールデンスラムを持っています。 これから、記録の面でグラフを目標にしているのではないでしょうか。 そして現在、彼女の優勝を阻むプレーヤーは大坂なおみがライバルと言っていいでしょう。 セリーナに憧れてテニスを始めた大坂なおみのプレースタイルは、セリーナに似ています。 そして大坂なおみには若さがあります。 これから彼女はどんどん強くなり、逆にセリーナはもう37歳。 これからセリーナの優勝を阻む最大のライバルになると考えられます。 女性アスリートで最も稼いでいる選手 セリーナ・ウィリアムズは女子テニス界で最も稼いでいる選手です。 2019年発表の年俸で2,920万ドル、約31億6290万円。 女子テニス界で最も稼いでいる選手です。 男女合わせたランキングでもテニス界では5位(1位フェデラー、2位ジョコビッチ、3位錦織圭、4位ナダル)。 そしてスポーツ界全体でも最も稼いでいる女性アスリートです。 彼女の生涯獲得賞金も88,673,097ドル(約約95億8450万円)とぶっちぎりでテニス女子で1位です。 ちなみに女子の生涯獲得賞金2位がヴィーナスで約45億円だモウ。 姉妹でとんでもない額を稼いでいるモウ。 セリーナの家族関係 兄弟姉妹 セリーナには実はセリーナを含め10人の兄弟姉妹がいます。 セリーナの父と母が結婚する前に父には3男3女の子供が、母親には3女がいました。 母親の3姉妹が連れ子として、父と暮らしていたところにヴィーナスとセレナが生まれて5姉妹になりました。 ですので本当のセレナの姉妹はヴィーナスだけで他の姉妹は異父姉妹となります。 その後、父と母は離婚し、父が再婚した相手に男の子が生まれて異父異母兄弟姉妹合わせて12名になります。 旦那と子供 セリーナは2017年9月に交際相手だったITサイト共同創業者のアレクシス・オハニアンとの間に女児を授かりました。 名前も公開されておりアレクシス・オハニアン・ジュニアだそうです。 この年の11月に結婚式を挙げており、出席者はビヨンセ・ジェイZ夫婦やケリー・ローランドを始め、イギリスのメーガン妃も含まれた200名あまりの出席者が参列したそうです。 セリーナの暴言 2018年大坂なおみが全米オープンで優勝した決勝戦で、セリーナが暴言を吐きゲームを失ったことが話題になりましたが、どうやら彼女は前から暴言によりペナルティを受けることが度々あったようです。 2009年の全米オープン準決勝で、フットフォールトの判定にライン審判に暴言を吐きポイントを失い、そのまま敗れたことや、2011年の全米オープン決勝でも妨害行為の判定をくだされポイントを失ったことへ暴言を吐き度々罰金が課されていることが記録されています。 彼女のパワフルなプレーは、気持ちからもきているのでしょうかね。 差別の問題 セリーナ・ウィリアムズは人種差別や性差別の問題が幾度と取り上げられる人物でもあります。 最近では大坂なおみ選手との試合中に審判に暴言を吐きゲームを失ったことへ「性差別」と問題を定義し物議を醸しています。 この件については賛否両論あるようで、審判は暴言に対する適切な処置をしたと見る一方で「男子選手がもっと汚い暴言を吐いてもゲームを失ったことはない。 女性選手だと『ヒステリック』だとすぐに罰則が課せられている」と言った意見もあるようです。 また「人種差別」問題でも話題になったケースもあります。 彼女は幼少期から黒人選手ということもあり、幾度と「人種差別」を感じてきたことがあるようですが、その件で有名な話は2001年のBNPパリバ・オープンのことです。 2001年アメリカ・インディアンウェルズで開催されたBNPパリバ・オープンの準決勝で姉のヴィーナスと対戦予定でしたが、ヴィーナスが棄権しセリーナが戦わずに決勝に進んだことでワザとセリーナを決勝へ進めたと批判が起こり、決勝の舞台で会場全体から差別的なブーイングが続いた。 それ以来セリーナは「2度とこの大会には出ない」とその後BNPパリバ・オープンの出場拒否していました。 2015年に14年ぶりに大会出場を果たしてます。 セリーナ・ウィリアムズを観るなら 女子テニスの2019年の放送・配信は地上波、WOWOW、DAZN、WTA TVが主に行なっています。 WTAツアーは現在、日本ですとDAZNの独占配信になっています。 女子テニスツアーを観るなら断然「DAZN」がオススメだモウ。 まとめ テニス界に止まらず、女性アスリートとしても世界ナンバーワンの地位を築いたセリーナ・ウィリアムズ。 テニス選手として、数々の記録とタイトルを獲得してきました。 そして37歳になった今尚、未だ達成されていない記録に挑戦しています。 彼女に憧れてテニスを始めた選手は大坂なおみを始め数多くいることでしょう。 私生活はヴィーナスを始め家族兄弟姉妹を大切にし、結婚出産を通して自分の家族を持ったセリーナ。 戦う女性の象徴として、「人種差別」や「性差別」とも戦い、彼女の夢であったファッションブランドを立ち上げ、女性を励まし鼓舞するメッセージを送っています。 テニスの枠に止まらず、世界中に影響を与え続けているセリーナ・ウィリアムズ。 彼女の人間力は計り知れません。
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