黒天使の毛皮を身にまとったヴィーナスは『迷い猫のブルーズ』を唸るように歌いはじめ、ジャングルジムで死んだ少年のナイフは『動物小唄』を口ずさみながら亀の子タワシとともに燃えつきた農場の最深部に侵入し、音響青年は「たのむから静かにしてくれ! おれは象のように生き、鮭のように死ぬ!」と叫んでその場でバナナ魚に変身し、すぐに干涸びて死んだ。 Enzo Molinari 燃えつきた農場主のシリアル・コーンキラーズは「 ゆっくり剥いてから、よく見るんだ。 」とだけ言って、ビロード地下帝国へ去った。 燃えつきた農場内にあるすべてのものの浸透圧が一斉に下がりはじめ、燃えつきた農場に腐敗臭が充満した。 固いものや糖度、塩分濃度の高いものまでが急激に腐敗した。 それまで細菌の繁殖をことごとく撃退してきたのは、ひとえに浸透圧だった。 そのファイアウォールとでも呼ぶべき浸透圧が下がり、細菌の侵入繁殖を容易にしたためである。 「浸透圧に問題あり」の打電は瞬く間に世界中に広まった。 天才数学少年のワニのいる生活は崩壊し、バーナクルマンこと藤壷富士男はポップコーンのかわりに目の色を変えてロックコーンを食べはじめてイギーポップさを失い、黒天使の毛皮を身にまとったヴィーナスは『迷い猫のブルーズ』を唸るように歌いはじめ、ジャングルジムで死んだ少年のナイフは『動物小唄』を口ずさみながら亀の子タワシとともに燃えつきた農場の最深部に侵入し、音響青年は「たのむから静かにしてくれ! おれは象のように生き、鮭のように死ぬ!」と叫んでその場でバナナ魚に変身し、すぐに干涸びて死んだ。 誕生日のない男、チバユウスケ・サンタマリア櫻田ファミーリアだけが手癖の悪さを存分に発揮して鯱の塩焼きを手に入れ、ステューピッド・キューピッドとともに象拳銃印の食卓についた。 人間は進化した生きものではなく、たいがいにしておくべき退化した生きものである。 ロッカウェイビーチ・ブールヴァードの片隅に捨てられたすり減ったヘリコのFLEX75ほどの価値もない。 D-E-V-O-E-M-M ジョーイ・ラモーン・プレイスそっくりにつくられた街の一角。 「母親のキンタマ・バー-バブバブ」って、そりゃ、あんまりだ。 ボブ1号とボブ2号のしでかすことときた日にはことごとく1970年代末的であると同時にパンクラスかつパンクチャー、さらにはパンクチュエーションである。 ボブ1号とボブ2号はいつも携帯用ジャングルジムを持ち歩いていて、常にジャングルジムの上か中かにいる。 この携帯用ジャングルジムはカーボンファイバー製で軽量高強度高剛性。 重量は約5kgである。 AMANDORA SPORTS製。 AMANDORA SPORTSのカーボンの天才、千葉埼玉洋三渾身の作。 男は完全にイッていることが、その表情、仕草、言葉からわかる。 男は5秒に1回、「わかってたまるか!」と怒鳴っている。 「勝手にしやがれ!」は10秒に1回。 「すてきな休暇。 かわいいおまんこ」は15秒に1回。 なんてやつだ。 男の名は亀頭美射。 キトウ・ビシャ。 変わった名前だが本名である。 ふざけた名前、ふざけた男。 まったくもってこれほどのキンタマ野郎はいない。 キトウ・ビシャは基地の睾丸専門料理店の料理人、コックである。 コック野郎め。 だれもがキトウ・ビシャを基地一番の基地外野郎と呼ぶ。 ベースを弾かない基地一番の基地外ベースマンと呼ぶのは男のコックサッカー・フリークどもだ。 ファックなコック野郎とコックサッカー・フリーク。 まったく世界はどうかしてる。 それもこれも、おまんこラジオのFMトーキョーと欲ボケEMIのせいだ。 世紀末的様相に輪をかけることとなるのが世紀末ラモーンズ7人兄弟だが、彼らがやってくるのはキトウ・ビシャのグループとボブ1号とボブ2号がジャングルジムの中で大乱闘をおっぱじめるころだ。 ひどい夜だ。 ロシアにロケットを打ちこむより百倍ひどい。 ミニアチュアの王冠をかぶったシュー・キンペーの腫れぼったい目蓋よりひどい。 人間らしくやりたいな。 人間なんだからな。 KAITA-KAKEN いろんな命が生きているんだな。 元気で。 とりあえず元気で。 みんな元気で。 ずっと元気で。 NHT Takassy 世界を貪り読め。 読みつくせ。 耳を攲てろ。 眼を見開いたまま眠れ。 森羅万象に多情多恨たれ。 KAITA-KAKEN 1981年晩秋。 青葉繁れる日々はとうに終りを告げていて、永遠などないと思い知りながら、ワイオミング・スイカを貪り喰いながら、街を、世界を、ビロード地下帝国のワイルド・サイドをほっつき歩いていた。 スパゲティ・バジリコでも25mプール1杯分のビールでも床一面に5cmの厚さで敷きつめられた南京豆の殻でも心と魂は満たされず、水晶とは似ても似つかぬ鉛色の世界が広がっていた。 「ジョシダイセー」なる珍妙奇妙奇天烈なイキモノが肩で風を切ってのさばり歩いていた。 冷たい小糠雨が降りしきる週末の夕暮れの青山通り。 1本の路地から茶色と白のブチの仔犬が顔をのぞかせた。 ボクサー犬かジャックラッセル・テリアか。 生後半年ほどでもあったか。 仔犬は車と人と雨とでざわめき立つ夕闇迫る混乱の大通りを前に、あたりを落ちつきなく見まわし、小刻みに震えていた。 その表情は不安と恐怖で凍りつく寸前であるように思われた。 どこからともなく晩鐘が聴こえてきた。 善光寺の晩鐘だったか。 仔犬は傘をさして猛スピードで買い物かご付き自転車を走らせるクソばばあに轢かれそうになる。 クソばばあを引きずり倒してぶん殴ってやりたかった。 しかし、夕暮れの雑踏と家路を急ぐ大衆どもは仔犬には目もくれず、無関心そのものだ。 それどころか、仔犬を食い殺そうとでも言いたげなほどに残酷だった。 私もそのうちの一人だった。 小さな命が抱える冥さに目もくらみそうになる。 そして、その小さな命に待ち受ける孤独と困難と困憊にも。 仔犬に微笑みかけることしかできなかった。 それだけが、そのときの私にできることだった。 ほかにはなにもない。 彼を抱きしめ、あたため、連れて帰りたかったが、すべての事情を勘案した結果、それはゆるされなかった。 だが、それは言い訳だ。 愚にもつかぬ言い訳にすぎないと今にして思う。 仔犬はどんなにか寒く、ひもじく、凍え、心細かったろうかと思う。 しかし、重要なのは言葉の数ではない。 言葉の巧みさでも美しさでもない。 言葉ではない。 当然に、仔犬のその後の日々がどうなったかはわからない。 そして、40年近い歳月の流れ。 40年近くの時間を経ても凍えるような喪失のかなしみ、痛みをともなった喪失感がある。 あのとき、あの仔犬をふところに抱きしめていれば。 あのとき、あの仔犬を一瞬でもいいからあたためていれば。 そのことによって失うものなどなにもなかったのに、そして、そのことによってもっとたいせつであたたかくて深いものを手に入れられたはずなのにできなかった。 いや、できなかったのではない。 しなかったのだ。 そのあいだに、街からも人間からも「貌」が失われた。 「すごい」をいつ果てるとも知れずに連発しながら 「すごい」は形容詞だ! 形容詞で形容詞と副詞を修飾するな!。 子守唄がわりに『Metal Machine Music』を聴かされつづけた赤ん坊どもはいまやアヒルに毛の生えたようなニヒリストとして無限大の幻影を夢みる日々を生きている。 彼奴らをみていれば、そう遠くない将来、近々、「世界の終り」がやってくるのはまちがいないとわかる。 救いはソニーロリンズ・ベイビー島の人々が青と黒のクセノフォンの巨人の夢を見つづけていることだけだ。 雨上がりの日曜の世界が光匂い満ちてあるように。 Enzo Molinari だれもが迷いながら傷つきながら細く暗く不安な1本道をずっと歩きつづけている。 ときどき陽が射せばいい。 ときどき。 ほんの少しだけ。 雨上がりの日曜の朝のように。 Enzo Molinari 封印をといたのは雨上がりの日曜の朝だった。 リッチー・バイラークのピアノ・ソロのアルバムHubrisの1曲目、Sunday Songの封印をといたのは。 41年5ヶ月と4日ぶりだった。 以来、日曜日は1日中、ずっと聴いている。 Sunday Songはしみる。 とてもしみる。 Hubrisを手に入れたのはキース・ジャレットをはじめとするECMレーベルの音源をすべて集めようとしているさなかだった。 生まれて間もない嬰児をかき抱くようにHubrisを抱いて帰った。 部屋に着くなり、アンプリファイアーに火をいれ、DENON DL-103の針先をメンテナンスし、厳粛な儀式に臨むような気分でHubrisの汚れのない盤面に針を落とした。 1曲目、Sunday Song. かすかなスクラッチ・ノイズのあとに、透明で悲しみさえたたえたピアノの音が聴こえはじめた。 出だしの1小節が葬送の調べとも聴こえる。 通奏低音が野辺送りの歌とも聴こえる。 1ヶ所、なんの前触れもなく転調するところでは心が軋み、揺れた。 ミニマルとも思えるような主旋律が繰りかえされる。 リリカルだがただのリリックではない。 脇の甘いセンチメンタルでもない。 鉱物のようにリジッドでソリッドでクリア。 雨上がりの日曜の朝のような悲しみを帯びたクリアネス。 その旋律は心の奥深くまで染みこんでくる。 染みこみ、静かに、とても静かに揺らす。 揺さぶる。 揺りかごの中で揺れているように。 母親の白く細い腕と手さえみえるようだ。 なぜか涙があふれた。 涙は次から次へ、はらはらといくらでも出た。 Sunday Song. 5分24秒の悲しみ。 3度目の「5分24秒の悲しみ」が終わろうとするときに電話が鳴った。 「OとTが死んだ。 コンテナに突っこんだ。 即死だ。 本牧で。 本牧埠頭で」 電話の主はうめくように言った。 必死に涙をこらえているのがわかった。 1978年6月16日金曜日の夕方、雨上がりだった。 雨は前の週から1週間も降りつづいていた。 電話をきり、再び、Sunday Song, 「5分24秒の悲しみ」に針を落とした。 そして、繰りかえし聴いた。 Sunday Songが葬送の曲のように聴こえた。 早すぎ、むごすぎる死を迎えたふたりの友の底抜けの笑顔が浮かんでは消えた。 いきなり転調しやがって。 へたくそなポロネーズだ。 愚か者めが。 何度目のSunday Songだったか。 部屋の中が急に光に満たされた。 あたたかくやさしくやわらかな光だった。 幾筋もの光の束がまわりで舞っていた。 純白の睡蓮の花弁からこぼれでるおぼろげな光。 その光の束はジヴェルニーからやってきた淡く儚くおぼろな光でもあったか。 やがて光の束は窓を抜け、晴れ上がった世界のただ中へ帰っていった。 それは死んだ友の葬列ともみえた。 そして、Sunday Songを、Hubrisを封印した。 ふたりの友の思い出とともに。 41年がすぎた。 もうそろそろ封印をとこう。 彼らについて語るときがきたのだ。 たとえそれが他者にはどうでもいいようなことであっても、私にはかけがえのない時間、世界、言葉を孕んでいるのだから。 彼らを思い、彼らの笑顔を思い、彼らの言葉を思って語りはじめよう。 そして、雨上がりの日曜にはSunday Songを繰り返し聴くことにしよう。 雨上がりの日曜の世界が光匂い満ちてあるように。 だれもが迷いながら傷つきながら細く暗く不安な一本道をずっと歩きつづけている。 ときどき陽が射せばいい。 ときどき。 ほんの少しだけ。 雨上がりの日曜の朝のように。 世界は思っているほど醜くはない。 世界には思っているよりずっと美しい瞬間がある。 CLosed BooK Richard Beirach - Hubris 1977 Released: 1977 Recorded : At Tonstudio Bauer in Ludwigsburg, West Germany in June 1977 Genre :Jazz, Piano Solo Length :38:55 Label :ECM Producer :Manfred Eicher Track listing *All compositions by Richard Beirach 1. "Sunday Song" - 5:24 2. "Leaving" - 5:16 3. "Koan" - 1:11 4. "Osiris" - 3:34 5. "Future Memory" - 4:49 6. "Hubris" - 5:59 7. "Rectilinear" - 2:13 8. "The Pearl" - 5:23 9. 人間は心理的に猫に敗北している。 Kobo Avenue のちに世界にただひとりの不全感スパゲティ小説家として世界にナラティブマインド・ウインドを吹きこむ風の歌と1973年のピンボール・マシンとジュークボックスと気のいい中国人バーテンダーのいる酒場の床に南京豆の殻を5cmの厚さで敷きつめることと25mプール1杯分のビールと安西水丸と佐々木マキとチープな中質紙と白い大衆カローラとアイルトン・セナ・ダ・シルバ似のグレン・グールドの1955年盤の『2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏 ゴルトベルク変奏曲 』と連数ライムマイム双子とラブ・アフェアと地中海とスパゲティ・バジリコとホットケーキのコーラがけとナイーブな街のナイーブな肉屋で売っているナイーブなロースハムと羊的なるものと不全感好きのアメリカかぶれの若者は「なぜ自分のことが書かれているのか?」と思わせる文章を書くことができた。 それは稀有な小説家的資質であるように思われた。 そして、寒いほどにさびしい林で揺れている指のない女の子に導かれて、彼は猫を捨てる。
次の他のものと合わせて購入される方はおきもち程度ですがお値下げ可能です。 新品未開封です。 プチプチで梱包し、発送いたします。 中身はついておりません。 確認のため開封したのみです。 開封後はスリーブに入れ暗所にて保管していました。 値下げ不可 即購入OK SEVENTEEN セブチ キムミンギュ ポップアップストア タブレットケース Diamond EDGE CARAT CAMP WE MAKE YOU SEVENTEEN セブチ ソウル グッズ トレカ フォトカード エスクプス ジョンハン ジョシュア ジュン ホシ ウォヌ ウジ ミンギュ ミンハオ ドギョム スングァン バーノン ディノ 缶 シャダコン アンコン エッジコン EDGEコン CARATLAND ケレン SEVENTEENのアルバム、ヘンガレの特典のブックになります。 2枚以上購入で1枚ごと50円引きさせていただきます。 (3枚なら100円引き) コメントにて求めているものをお伝えください。 また普通郵便、厚紙補強にて発送予定です。 よろしくお願いします。 あるブックはジョンハン、ジョシュア、ウジ、ミンハオ、スングァン、ディノ、ヒポチ、パフォチ、そちらにも届きましたらボカチ、SEVENTEEN全体のインタビューなどあります。 またhana、dul、set、netありますのでそれも記載ください。
次のこの日の講演が終わると、メンバーが二人も途中退場したとファンたちは大混乱。 さらに、ジョンハンのパフォーマンス動画がツイッターで拡散されると「あまりにもツラそうだ」と大きな衝撃を与えた。 この二日後には、同じく途中退場したエスクプスが活動を一時中止することを発表。 突然訪れたショックな発表に動揺が隠せない。 彼らは休みなく世界中を飛び回っているため、多くのファンが体調不良者が現れるたびにSEVENTEENに休暇を与えることを望んでいた。 しかし、スケジュールは変更されることはなかった。 すると、ファンが「まさか」と思っていた最悪の状況が現実になってしまった。 11月7日の幕張メッセ公演にディノが腸炎で欠席したことをはじめに、メンバーたちが次々と体調不良を訴え始めたのだ。 11月18日、エスクプス一時活動休止発表 たった一か月でこんなに体調不良を訴えるメンバーが増えてしまうとは。 このツアーは無事にやり切れるのだろうか。 一方メンバーたちは体調不良のメンバーを気遣い、傍にいてあげたり荷物を持ってあげたりとお互いに支え合っているようだ。 彼の気遣いにジョンハンも思わず嬉しそうな笑みを浮かべている。 ファンはメンバー同士が家族のように支え合う姿を見て大感動。 しかしながら、健康な成人男性が短期間で4人も体調不良、精神不良になるのは普通ではない。 そのため、彼らにはツアーを終えたら、しばらくゆっくりと休み安静にしてほしいという意見が相次いでいる。 「健康が第一よ」 「頑張りすぎだから、休んでほしい」 「頑張っているのは分かってる。 いつまでも待っているからメンバーをこれ以上苦しめないでほしい…」.
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