「いつか父の敵をとると誓った」 渡部哲也社長 「『これは家族にとっても再生です』と障がいを持つ当人のご両親にまで泣いて喜ばれる。 こんな幸せな仕事はないなと感じています」 こう話すのは渡部哲也社長。 彼が経営する自然派ビュッフェレストラン「六丁目農園」1号店は、仙台市の中心から車で20分ほどの仙台東インターチェンジ近く。 周囲には工場が点在し産業道路が通り、その間に田畑が広がるという、およそレストランにとって有利とはいえない立地をものともせず連日大盛況だ。 店内には水耕栽培プランターが置かれ、趣向を凝らした彩りも鮮やかな手作り惣菜が60種も並ぶ。 総勢40名のスタッフの大半を障がい者が占め、調理、盛り付け、配膳に生き生きと働く。 有機野菜の滋味と手間隙かけた料理の味が、財布の紐の固い主婦層にもしっかり支持されている。 「店内のふんわりした雰囲気がいい」「何となく癒される感じがする」と、料理以外の評判も口コミやインターネットを通じて広がり、「今最も予約をとりにくいレストランの一つ」といわれている。 と言っても渡部は、これまで順風満帆の人生を歩んできたわけではない。 高校3年の時のことだ。 建設機械の修理・販売、ガソリンスタンドのチェーン店などを営み、地元の名士と言われていた父親が100億円近くの負債を抱えて倒産した。 「世界ががらりと大きく変わった。 いつか父の敵をとると誓いました」 高校卒業後、豪州に留学。 父親の教えで会計を学ぶ。 お金をもうけ、自分がお金持ちになって世間を見返してやろうと考えた。 だが何かを得るわけでもなく1年で帰国。 その後、営業マンを皮切りに、あらゆることに挑戦したがなかなか長続きしない。 ある時には知り合いから共同経営の話もあったが、これもうまくいかない。 豪州から生鮮シーフードを輸入し、冷凍するコストを省くため、成田空港近くに生簀を設けて全国に配送するなど、自分で立ち上げた事業もことごとく失敗した。 その数、実に16種類。 しかし鯛焼き屋を始め、縁あって発達障がいの青年を雇ったことが大きな転機となった。 「働く人の幸せを考えていれば、利益は後からついてくる」 「実は身内でも、義弟が交通事故で重度の脳障がいに陥り、本人も親も将来に大きな不安を抱いていました。 障がい者が自立するための働く場をつくりたい、という思いは常に念頭にありました」 新たに雇用した青年は鯛焼き屋に勤める前、福祉施設で問題児扱いされていた。 最初に職場を訪れた時のことは今でもよく覚えているという。 「初対面の私に、携帯電話が怖いと言っていたかと思えば、コンビニで新聞を立ち読みしたら怒られ納得できなかった話を始めるなど、自分や世の中のおかしいと思うところを3時間余り止めどなく話し続けたのです」 簡単な雑用から具体的に仕事をお願いするようになっても、30分働いては30分休憩。 しかも出勤は1日置きで、無断欠勤もしょっちゅう。 だがそこで、今まで自分が出会ってきた人の中で一番扱いにくい悪い条件のスタッフだからこそ、ここはとことん向き合ってみようと、じっくり彼の行動を観察してみた。 すると鯛焼きを焼くことに興味を持ち、よく質問することに気付いた。 そこで鯛焼きを焼く作業を任してみると、問題行動も影を潜めた。 他の職場では、ひたすら袋詰めさせられるような単純作業に辟易していた彼が、戦力として甦ったのだ。 「彼の活躍もあり売上も伸び、ある時、働く人の幸せを考えていれば、利益は後からついてくると気付きました。 価値観が180度変わったのです」 「六丁目農園」の店内の様子。 手作りにこだわった、からだにやさしい料理が食べ放題で、人気を集めている その志から生まれたのが「六丁目農園」。 2010年11月にオープンした。 障がい者の能力を最大限発揮できるよう、ビュッフェスタイルとした。 1号店は2010年11月にオープン 「障がい者は、一つのことに熱中し窮めようとする職人気質が多い。 お客様が自由に好きなだけ食べ、帰りたいときに帰ることで、自分たちのペースで仕事に集中できるようにしました」 もう一つのポイントは野菜。 自社の畑も持ち、提携農家から形の悪い規格外の野菜も仕入れる。 農家の収入を安定させるとともに、ドレッシングなどの二次加工品を作って販売することで、店にとっても付加価値を生み出せる。 5キロメートル離れているレストランの1メートルまで迫りながら、高速道路が防波堤になり、奇跡的に被災を免れた。 「ああ、生かされているな、と感謝しましたね。 そして生かされた者の責任があり、役割があるはずだと強く感じました」 ビルを一時避難所として開放し、炊き出しも行った。 市民が外食できる日々は戻るのだろうかと不安を抱きながら、倒産も覚悟して支援活動に力を注いだ。 ようやく営業を再開できたのは、1カ月後だった。 「経営者仲間と支援活動を共にするうちに、やはり雇用の場が大事であることを語り合いました。 過去の大震災でも、行政任せでは後手となっていた。 自分の場合には、やはり障がい者雇用に力を注ぐべきだと改めて思いました」 仙台市内のホテル内に店舗を構える2号店の厨房の様子 昨秋には、仙台市内のホテル内に「六丁目農園」の2号店をオープン。 出店にあたっては、三菱商事復興支援財団の出資を仰いだ。 調印式にて 「資金を提供いただいたこともさることながら、大きな信用力を得ることにつながり、大変感謝しています。 将来的には再生ビジネスという考え方を広めていきたいですね。 また自分自身、障がい者のみならず、社員に、『ずっとここで働きたい』と言われる会社経営を追求していきたいと思います」 (敬称略).
次の静岡県浜松市の東区と中区に全盲、視覚障がい者がイキイキ働く場所がある。 誰でも障がい者に突然なる可能性がある。 交通事故、自分で器をつけても被害に遭い、障がい者になることがある。 呆然とするが、生かせていただくことに感謝するとプラス思考をしてパラリンピックの選手になり生きがいを感じる。 高齢になって突然、く目がみえなくなって、失望し自殺を考えるが、死ぬことができない。 長寿社会だ。 白内障は手術の手段があるが、現時点では緑内障等は時間の問題だ。 防ぐ手段は、人間ドックや眼科医での診察。 私は、4年前に緑内障の診断をされ、大病院で検査、目薬をいただいていたが、近くの眼科医に替わった。 大病院よりも検査があり、親切で丁寧だ。 眼圧の正常値は10から20と言われるが、診断時は左目15,右目15だったが、毎日1滴ずつの点眼で現在は、11、11までになって、正常値と緑内障の中間と言われている。 進行が進めば1種類の目薬が2種類になり、3種類になる。 気づかず、突然、目が見えなくなる方も多いようだ。 白内障は、60代で60%、70代で70%、90代で100%のようだ。 4年前に愛知県長久手市の自宅近くに動物眼科センターが開院した。 採算が合うだろうかと思ったら、近県からもワンコ、ニャンコが来ている。 我が愛犬シシィ、パグ犬で目が飛び出ているので目の病気になり、1年近くになる。 毎日、2種類の目薬をつけている。 午前中と午後は1か月先まで予約が一杯のようだ。 夕方しか空いていない。 この眼科センター、いつも通っている動物病院の紹介状が必要な第2次病院だ。 飼い主も動物病院の先生も眼科は分からないようだ。 静岡県浜松市の東区と中区に全盲、視覚障がい者がイキイキ働く場所。 NPO法人「六星」さんだ、 HPを見て欲しい。 sakura. htm 障害者授産所ウイズについて 私達の住むこの社会は、様々な人達で構成されています。 たとえば、若い人達やお年寄り、障害を持つ人や持たない人、そしていろいろな国の人達。 この様な人達が互いに理解し合い、共に手をとり合って、みんなでいっしょに社会参加を果たして行こうというのが、「ウイズ」の基本的な考え方です。 障害者授産所って? 家から外へ飛び出そう!住みよい街づくりへ 固く言えば「障害ゆえに雇用されることが困難な障害者に働く場を提供し、 社会適応と自立を助長する」のが授産所の目的です。 でも、私達はもっと簡単に障害をもっていて家の中に閉じこもっている人達が授産所の存在を知って、 一歩でも外へ、社会へ出るきっかけにしたいのです。 ウイズが社会参加の窓口になればと思っています。 障害を持つ人達が社会へ出れば、だれもが住み易い街に変るのです。 授産所ウイズは どんな事をするのですか? まず第一に仕事をします。 障害者、特に視覚障害者は何もできないと思われています。 でも、障害を持っていない人達でもできないことはたくさんあるはずです。 障害があっても、努力と練習、工夫と少しのお手伝いで、できることが少しでも多くなります。 私達はいっしょうけんめいに練習して、「盲人用具」をはじめとする福祉機器を作る仕事をします。 すぐには上手にできませんが、必ず良い物ができます。 なぜなら、私達の使う福祉機器なのですから。 他に、広報はままつや各種パンフレット、名刺の点字印刷をみんなで力を合わせてやっています。 また、小学校などへ行き福祉についての授業にもみんなでお話に行く事も大事な仕事です。 できることは何でもやって行きます。 私達のすることは、仕事ばかりではありません。 人生の途中で失明する人が全国で14,000人もいます。 また、盲重複障害と言って、視覚障害と知的、聴覚、肢体不自由など他の障害を合わせ持つ人も増えています。 私達はこの様な人達にいろいろな情報を提供できる様に勉強もします。 あらゆる人達の相談に親身になって応じたいと思います。 理事長の斯波(しば)さん、2か所でイキイキ働く方に何でもやると捨て身だ。 全国から資金援助もできる。 斯波さん、最近、生きるか死ぬかの瀬戸際だったらしい。 斯波さんのような人を天、自然、神、仏は生かさせる。 法政大学大学院 坂本 光司教授、「(健常者の我々が)障がい者になる」と言われる、東京と大阪には「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と共に知って欲しい。 全国で視覚障がい者が働く場所は10か所しかない。 行政が目に見えないのだから、働く場所は必要ないという先入観が先進諸国と比べ遅れをとってしまった。 我が家の机に猫と犬の置物がある。 3年前に六星さんで買ったものだ。 新しい仲間も加わった。 最近の投稿• アーカイブ アーカイブ カテゴリー• 130• 106• 118• 109• 2,857• 2,281• 218• 247• 2,390• 349• 433• 169• 166• 283• 141• 159• 106• 68 最近のコメント• に より• に 高原彦二郎 より• に より• に sakamoto より• に sakamoto より.
次のJOY倶楽部とは 福岡で有名なおがた小児歯科の緒方先生が作られた、知的障害者の方々が働く事業所です。 おがた小児歯科HP: JOY倶楽部HP: 音楽活動をする「ミュージック アンサンブル」、アート制作をする「アトリエブラヴォ」の2つのグループが活躍しています。 職員の方々に説明を色々受けたのですが、この2つの事業が凄い! 日本を中心に、世界中で活躍しているのです。 数々の企業とコラボして、その収益で生活するプロ集団。 音楽とアートを時間内に行い、音楽活動やアート作品の販売収益からお給料が支払われます。 売上の内、経費以外は全て彼らに支払われます。 好きな音楽&アートでお給料を稼ぎ出す彼ら彼女ら。 正にプロ集団ですね。 ミュージックアンサンブル 音楽集団 JOY倶楽部のビルの一階には、とても立派なミュージックスタジオがあります。 数多くの楽器が並んだ大きなスタジオに、防音室が2部屋もある徹底ぶり。 ここで練習を重ねて、いろんな場所で演奏するのですね。 なにか引き込まれる感覚になった一同。 所せましと作業台が並べられ、次に出品する品を皆さん一生懸命、そして楽しそうに作られていました。 こんな場所で仕事できたら最高ですよね!アップ君も将来入いれたらいいのにな。 宿泊施設 海外で音楽活動やアート活動を行っているJOY倶楽部。 人数の関係上、職員さんのサポートが全員へ行きわたらない場合も多いので、宿泊訓練ができる施設も用意されています。 どんなホテルに行っても動じないように、障害者用の入浴施設ではなく、あえて普通のユニットバスが用意されていました。 その他標識や、ロッカー等まだまだ沢山の工夫がされており、様々な場所で活動できるメンバーを育っていくんだと思いました。 世話焼きのお姉ちゃんと、甘え上手なカワイイKanaday。 居心地がいいんでしょうね。 これから先もずっと仲良しだったら嬉しい。 その頃アップ君は・・・・ チーーーーン。 一人男子で輪に入れずご就寝。 この子たちが将来活躍するイメージができた良い一日でした。 Down-and-UPはみんな見てると思います。 いつ位からとかどの程度とか色々。 うちの子供に関わる先生達全員が口をそろえて言いました。 愛媛は療育手帳が3歳頃にならないと申請通らないと。 納得できずに1歳頃にも相談しましたが結果は変わらず。 3歳頃にならないと通らないからしないほうがいいと。 納得できずに県のHPに知事への提言ってのがあったので、 経緯と納得できないと言うことと、病院や療育センター、 市役所でちゃんと制度について教えてほしいと、 思いをメールしました。 すると次の検診日に急に そろそろ療育手帳申請しましょうって言われて、 2週間後には診断、判定 ゜ロ゜;ノ)ノ サクッと重度判定が出ました。 その後の手続きもスムーズに終わり。 手帳が届くのに1ヶ月かかりませんでした。 子供は1歳半でした。 不信感MAXでした。 そして療育手帳の判定の事を各先生に報告したら 申請通ると思わなかった。 1歳半で通った子はいない。 何で重度なんだろう 笑。 もっと発達遅い子はいっぱいいるのに? と衝撃の発言の数々。 誰もうちの子供が重度ってのを認めない 今まで3歳頃まで通らなかったってのに 1歳半で重度って事実を見ようともしてくれない。 まだ続くのですが長いので一端やめます。 身体障害と違って、知的障害は子供の頃判定できないですからね。 将来必ず知的の遅れがあっても、現時点では変わらない場合が多いので。 しかし全国統一されていないのが不思議ですよね。 住んでいる場所によって判定できる時期が変わるなんておかしい!子供達はどこに住んでいても変わらないのに。 知事から指示があったのかはわかりませんが、言ったら療育手帳交付してくれると思ってしまいます。 療育センターの先生方も自治体の制度を元にお話しされているので不思議なのだと感じているのでしょう。
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