コンテンツ• 都道府県ごとにみる平均寿命。 食生活は重要か? かなり古いデータになりますが、厚生労働省が示している平成17年の都道府県別の平均寿命を示した図です。 男女ともに平均寿命が一番短いのは青森県となっており、一番平均寿命が長い沖縄県や長野県との比較ではおおよそ2-3年ほど差が開いています。 2017年には東京大学のグループが、このような都道府県ごとの健康格差について研究をLancetに発表しています。 そこでの調査では、都道府県格差の明らかな原因は不明だった、と結論づけられています。 地域的な健康格差が生じる要因についても分析を行った。 しかし、各都道府県における保健システ ムの主なインプット(一人当たりの医療費、人口当たりの医師数、看護師数、保健師数)と保健ア ウトカム(年齢調整死亡率および疾病負荷)との間には有意な相関は見られなかった。 また前述の リスク要因(行動習慣、代謝系、環境および職業上のリスク)と都道府県間の健康格差についても 顕著な相関は見られなかった。 つまり納豆をたくさん食べている茨城県民が健康であるというわけではなく、味噌をたくさん食べている愛知県民がより健康であるというわけでもないのです。 同様に魚の消費量が少ないであろう長野県民や岐阜県民が必ずしも短命ではないようですね。 結局のところ、食生活と健康の関係は、都道府県ごとのデータだけからはわからなかったようです。 食生活の基本 健康的な食生活を実践するには当たって1番大切なのは、何と言ってもバランスのとれた食事ですね。 1日単位でバランスのとれた食生活を実践するのは難しいとしても、1週間単位で見たときにはなるべく彩り豊かな食生活になるように、バランスのとれた食事をすることが必要でしょう。 基本的なことから心がけていきましょう。 医師が食生活で気をつけていること さて、以下に具体的に私が気をつけている食生活についてご紹介しましょう。 ヨーグルトを毎日食べる 毎朝食べるようにしています。 ヨーグルトが本当に体に良いかどうかっていうのはわからないですね。 ただ、整腸剤として処方するビフィズス菌製剤とか、ビオフェルミン製剤と言うのは、大きな括りでは乳酸菌製剤ということになります。 ヨーグルトを食べるというのはお腹の調子を整えると言う意味では悪くないのかもしれません そう思って、毎朝ヨーグルトを食べています。 野菜を多めに摂取する 自宅で食事をするときは、なるべく野菜をとるようにしています。 忙しい時にはどうしても外食が多くなり、相対的に肉類を多く摂取することに繋がります。 病院のお弁当や、飲み会などの外食では、どうしても肉中心の食生活になってしまいます。 焼き鳥や焼肉など肉料理を中心とした飲食店は数多くありますが、サラダメインの居酒屋というのはほとんどないですよね。 まあこれは 人間の味覚が塩とか肉の旨味成分をおいしく感じるようにできているそうですから、仕方ありません。 したがって普段からなるべく野菜を摂取するように心がけておかないと、野菜不足の陥りやすいのではないか、と考えているのです。 アルコールは適度に摂取 アルコールに関しては、どちらかというとネガティブなイメージで捉えられがちですが、実際には健康に良い効果もあるとされています。 サッポロビールのホームページには、下記のような記載があるのです。 サッポロビール株式会社ホームページ イギリスの学者マーモットは研究の結果、「お酒を飲み過ぎたり、まったく飲まないよりも、適度に飲むことで死亡率は低くなる」ことを発表しました。 アルコールが血液中の善玉コレステロールを増やし、高血圧、虚血性心疾患、脳卒中などを引き起こす動脈硬化を防ぐ効果があるからだといわれています。 もちろんアルコールの感受性にもよるので一概には言えませんが、適度な飲酒は心筋梗塞などのリスクを減少させることが知られています。 適度な飲酒とは「 1日平均純アルコールにして約20g程」、おおよそ缶ビール一本分とのことです。 ただし飲み過ぎは体に悪影響を及ぼしますから、適度な自制が必要です。 タバコは厳禁 アルコールと違い、タバコは人間の体に様々な悪影響を及ぼすことが指摘されています。 タバコの良い面は残念ながら皆無であり、すべてが悪い方向に働きます。 したがって健康に気を使うのであれば、タバコは今すぐやめるべきであると言えるでしょう。 炭酸飲料は飲まない 巷に広く販売されている炭酸飲料ですが、糖分が多量に含まれています。 糖分摂取を制限する観点からは、なるべく控えたほうが無難と考えています。 最近では糖質をかなり少なくしたような炭酸飲料も発売されており、メーカー側も消費者の健康志向に合わせて商品を発売しているようですね。 まとめ 以上、医師が食生活で気をつけている部分についてご紹介してきました。 健康的な食事とはいうものの、定義は曖昧で毎日実践するのは簡単ではありません。 できることから心がけを始めたいものです。
次の生産者と消費者という区別 主人公のコペル君は中学生なので、生産活動はせずにひたすら消費する側として生活しています。 一方、コペル君の友人の浦川君は、家の貧しい豆腐商店を手伝って油揚げを作っています。 生み出してくれる人がいなかったら、それを味わったり、楽しんだりして消費することはできやしない。 生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれるのだ。 これは、何も、食物とか衣服とかという品物ばかりのことではない。 学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、それを受け取る人々より、はるかに肝心なんだ。 一方で、同級生の浦川君は、中学生ながら、油揚げを作って売るという生産者の顔を持っています。 「生産者と消費者という区別を見落としてはいけない、だから、いくら油の匂いがして貧乏だからと言って浦川君をバカにしてはいけない」と、コペル君のおじさんは諭します。 ものを生み出す人と消費する人 会社員の人に「あなたは、ものを生み出す人か?」と問うたら、なかなか「イエス!」と答えるのは難しいと思います。 もちろん、会社で働いて給料をもらっているので、なんらかのモノを生み出しているはずだ、と考えるでしょう。 労働は、モノやサービスを世の中に売ることにより価値を生み出しています。 その価値がお金に変わるから給料が支払われるわけです。 そのような関係から「会社で働いていること自体が、ものを生み出す側である」と考えるかもしれません。 入ってくるお金と出て行くお金で考えたら、ものを生み出す活動と消費する活動は半々だ、という理屈になりますね。 ただ、あなた個人が、「会社でどんなモノを生み出しているのか」と問われると、すぐに返答することは難しいと思います。 それは、日々の会社生活の中で、自分が生み出している価値について意識することがないからです。 あるワークショップで、「あなたはモノを生み出す人か?それとも、モノを消費する人か?」という質問に対して、ほとんどの人が「消費する人」として手をあげました。 商売人として生活している人は、「モノを生み出している」と自覚している人が多いのですがが、会社などの組織に属して働いている人にとっては、「私たちは消費者である」という意識が強いようです。 では、本当に会社員は生産者ではなく消費者なのでしょうか。 モノを売る現場から遠いと生産者としての実感がわかない 会社は最終的には必ずモノやサービスをお金に変えています。 しかし、その換金の現場にはほとんど立ち会えないのが会社員ではないでしょうか。 例えば、会社で人事の仕事をしている人は、なかなか商売の世界にいるという実感はないと思います。 逆に、自分が稼いだ給料をモノやサービスに交換する現場にはよく立ち会うことので、消費者という意識なのでしょう。 そして、最近は、自分の仕事は大変だと思う人は多いけれども、やりがいを持っていると感じている人は少ないと言います。 会社員の人が、自分の仕事に対して、やりがいを持つことができないのは、モノやサービスを売る現場から遠くてお客さんのイメージができないからです。 生産者と消費者の接点に近いところにいないと、モノやサービスを介して、人間の感情に触れることができません。 そのモノやサービスが、自分の才能や得意なこととは関係ないところで生み出されていることも、やりがいを実感しづらい構造になっているのかもしれません。 「 」でも、このような記述があります。 人間である以上、誰だって自分の才能をのばし、その才能に応じて働いてゆけるのが本当なのに、そうでない場合があるから、人間はそれを苦しいと感じ、やりきれなく思うのだ これからはみんなが価値を生み出す側に グーグル創業者でCEOのラリー・ペイジがこう言っています。 20年後、あなたが望もうが、望むまいが今の仕事のほとんどがロボットによって代行される これは、ラリー・ペイジの予言というものではありません。 検索エンジンなどのサービスを元に得た莫大なお金を、人工知能やロボットなどにどんどん投資していって、ほとんどの仕事を機械に置き換えていく、と明言しているのです。 これは、今やっている仕事がなくなってしまうかもしれない、ということからは脅威ですが、きつい労働から解放されるという点では希望です。 そして、人間が価値を生み出していくためのツールや環境が豊富になってくる時代が、さらに加速していくと思います。 現在では、ブログやSNSで個人が情報発信していくのは当たり前の時代になりましたし、一昔前までは、動画配信はテレビ局しかできないものでした。 こうしたことがテクノロジーの進展で誰でもできるようになったわけです。 それも、驚くほどの安さで。 個人がモノやサービスを生み出していくためのツールや環境はどんどん充実していっているのです。 そうしたなかで、これからは誰もが「 価値を生み出していく」という視点を持たないと、豊かに生きていくことが難しい時代になっていくかもしれません。 実は、昭和12年に出版された「君たちはどう生きるか」の中でも、おじさんがコペル君に究極の問いを投げかけています。 君は、毎日の生活に必要な品物ということから考えると、たしかに消費ばかりしていて、なに一つ生産していない。 しかし、自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ。 本の中でも答えは出ていないので、読者にとっても、質問を投げかけられている感じです。 果たして、あなたが日々生み出しているものって、なんでしょうか。 さいごに 自分が日々生み出しているものって、なんだろう、という問いには、私も答えを見つけられていません。 ただ、言い古された言葉かもれませんが、「 一人ひとりみんな違うということは特別な価値があなたにある」ということは確かです。 その特別な価値を見つけ出すことができれば、あとは全自動なのに・・・と思います。 ひとりひとりに宿っている特別な価値。 それが発見されずに一生を終えてしまう人がなんと多いことかというのは、とても残念でやりきれない思いです。 どうして、芸術家とかアスリートなどの一部を除いて、自分ではなかなか見つけられないような仕様になっているのだろうと考えてしまいます。 「 価値を生み出す人になる」というのは、これからの時代を生きる全ての人の課題になってくると思います。
次の生産者と消費者という区別 主人公のコペル君は中学生なので、生産活動はせずにひたすら消費する側として生活しています。 一方、コペル君の友人の浦川君は、家の貧しい豆腐商店を手伝って油揚げを作っています。 生み出してくれる人がいなかったら、それを味わったり、楽しんだりして消費することはできやしない。 生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれるのだ。 これは、何も、食物とか衣服とかという品物ばかりのことではない。 学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、それを受け取る人々より、はるかに肝心なんだ。 一方で、同級生の浦川君は、中学生ながら、油揚げを作って売るという生産者の顔を持っています。 「生産者と消費者という区別を見落としてはいけない、だから、いくら油の匂いがして貧乏だからと言って浦川君をバカにしてはいけない」と、コペル君のおじさんは諭します。 ものを生み出す人と消費する人 会社員の人に「あなたは、ものを生み出す人か?」と問うたら、なかなか「イエス!」と答えるのは難しいと思います。 もちろん、会社で働いて給料をもらっているので、なんらかのモノを生み出しているはずだ、と考えるでしょう。 労働は、モノやサービスを世の中に売ることにより価値を生み出しています。 その価値がお金に変わるから給料が支払われるわけです。 そのような関係から「会社で働いていること自体が、ものを生み出す側である」と考えるかもしれません。 入ってくるお金と出て行くお金で考えたら、ものを生み出す活動と消費する活動は半々だ、という理屈になりますね。 ただ、あなた個人が、「会社でどんなモノを生み出しているのか」と問われると、すぐに返答することは難しいと思います。 それは、日々の会社生活の中で、自分が生み出している価値について意識することがないからです。 あるワークショップで、「あなたはモノを生み出す人か?それとも、モノを消費する人か?」という質問に対して、ほとんどの人が「消費する人」として手をあげました。 商売人として生活している人は、「モノを生み出している」と自覚している人が多いのですがが、会社などの組織に属して働いている人にとっては、「私たちは消費者である」という意識が強いようです。 では、本当に会社員は生産者ではなく消費者なのでしょうか。 モノを売る現場から遠いと生産者としての実感がわかない 会社は最終的には必ずモノやサービスをお金に変えています。 しかし、その換金の現場にはほとんど立ち会えないのが会社員ではないでしょうか。 例えば、会社で人事の仕事をしている人は、なかなか商売の世界にいるという実感はないと思います。 逆に、自分が稼いだ給料をモノやサービスに交換する現場にはよく立ち会うことので、消費者という意識なのでしょう。 そして、最近は、自分の仕事は大変だと思う人は多いけれども、やりがいを持っていると感じている人は少ないと言います。 会社員の人が、自分の仕事に対して、やりがいを持つことができないのは、モノやサービスを売る現場から遠くてお客さんのイメージができないからです。 生産者と消費者の接点に近いところにいないと、モノやサービスを介して、人間の感情に触れることができません。 そのモノやサービスが、自分の才能や得意なこととは関係ないところで生み出されていることも、やりがいを実感しづらい構造になっているのかもしれません。 「 」でも、このような記述があります。 人間である以上、誰だって自分の才能をのばし、その才能に応じて働いてゆけるのが本当なのに、そうでない場合があるから、人間はそれを苦しいと感じ、やりきれなく思うのだ これからはみんなが価値を生み出す側に グーグル創業者でCEOのラリー・ペイジがこう言っています。 20年後、あなたが望もうが、望むまいが今の仕事のほとんどがロボットによって代行される これは、ラリー・ペイジの予言というものではありません。 検索エンジンなどのサービスを元に得た莫大なお金を、人工知能やロボットなどにどんどん投資していって、ほとんどの仕事を機械に置き換えていく、と明言しているのです。 これは、今やっている仕事がなくなってしまうかもしれない、ということからは脅威ですが、きつい労働から解放されるという点では希望です。 そして、人間が価値を生み出していくためのツールや環境が豊富になってくる時代が、さらに加速していくと思います。 現在では、ブログやSNSで個人が情報発信していくのは当たり前の時代になりましたし、一昔前までは、動画配信はテレビ局しかできないものでした。 こうしたことがテクノロジーの進展で誰でもできるようになったわけです。 それも、驚くほどの安さで。 個人がモノやサービスを生み出していくためのツールや環境はどんどん充実していっているのです。 そうしたなかで、これからは誰もが「 価値を生み出していく」という視点を持たないと、豊かに生きていくことが難しい時代になっていくかもしれません。 実は、昭和12年に出版された「君たちはどう生きるか」の中でも、おじさんがコペル君に究極の問いを投げかけています。 君は、毎日の生活に必要な品物ということから考えると、たしかに消費ばかりしていて、なに一つ生産していない。 しかし、自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ。 本の中でも答えは出ていないので、読者にとっても、質問を投げかけられている感じです。 果たして、あなたが日々生み出しているものって、なんでしょうか。 さいごに 自分が日々生み出しているものって、なんだろう、という問いには、私も答えを見つけられていません。 ただ、言い古された言葉かもれませんが、「 一人ひとりみんな違うということは特別な価値があなたにある」ということは確かです。 その特別な価値を見つけ出すことができれば、あとは全自動なのに・・・と思います。 ひとりひとりに宿っている特別な価値。 それが発見されずに一生を終えてしまう人がなんと多いことかというのは、とても残念でやりきれない思いです。 どうして、芸術家とかアスリートなどの一部を除いて、自分ではなかなか見つけられないような仕様になっているのだろうと考えてしまいます。 「 価値を生み出す人になる」というのは、これからの時代を生きる全ての人の課題になってくると思います。
次の