2018. 28 ジブリ作品の感想、考察と評価(ネタバレ) 高等遊民 火垂るの墓の原作とアニメ映画の違いを比較!あまりに忠実すぎて驚いた 火垂るの墓原作とアニメ映画の違いってあるの? 火垂るの墓と言えばスタジオジブリの高畑勲監督のアニメ映画が有名ですよね。 でもこの原作の小説を読んだ人ってかなり少ないのでは? 原作小説の作者は野坂昭如です。 野坂昭如の実体験をもとにした、半自伝的小説。 それがこの火垂るの墓です。 火垂るの墓はアニメ映画ですら見るのが辛くて、 「とても素晴らしい作品ではあるけれど、繰り返し見たいとは思わない」 そんな映画じゃないですか? だから原作小説があるというのは知ってても、• 原作小説はもっとひどいんじゃないか• 悲しい物語で原作までは読む気しないわ そんなふうに思う人が多いでしょう。 実は私もそうでした。 高等遊民を名乗っておきながら、火垂るの墓の原作小説ですら今まで読まずに生きてました。 しかし高畑勲監督の逝去のニュース。 火垂るの墓が追悼記念としてテレビ放送されます。 「もうこの機会を逃したら原作小説の火垂るの墓を読むこともないだろう。 」 そう思って読んでみました。 下記クリックで好きな項目に移動• 火垂るの墓原作小説は30ページに満たない短編 まず1つお伝えしたいのは、かなり短い小説であること。 普通、小説といえば200ページくらい。 ちょっと長いと300ページくらい しかし火垂るの墓はもう短編小説くらいの量です。 ページ数で言えば30ページぐらいの小説なんです。 「こんな短い小説だったのか!」 というのがまず一番の驚きでした。 原作あらすじ ウィキペディアからあらすじを引用します。 とはいえウィキペディアはわかりにくいあらすじなので適宜読みやすく編集しました。 (オープニング) 1945年(昭和20年)9月21日、清太は三ノ宮駅構内で衰弱死した。 清太の所持品は錆びたドロップ缶。 その中には妹・節子の小さな骨片が入っていた。 駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。 地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。 (本編) 4歳の節子と兄14歳の清太。 6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、おばさんの家に身を寄せることになる。 (おばさんとの生活と横穴暮らし) 戦争が進むにつれて、二人を邪魔扱いするおばさん。 居心地が悪くなった清太は節子を連れて家を出ることを決心。 近くの貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始める。 しかし、配給は途切れがちで、情報や近所付き合いもないので、食料が得られない。 節子は徐々に栄養失調で弱っていった。 清太は畑から野菜を盗み、空襲で火事場泥棒し、時には見つかり殴られた上に派出所に突き出されながらも飢えをしのいだ。 (衰弱する節子) ある日、川辺で倒れている節子を発見した清太。 病院に連れていくも医者に「滋養を付けるしかない」と言われる。 銀行から貯金を下ろして食料の調達に走る最中、日本が降伏して戦争は終わったことを知った。 清太は日本が敗戦し、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。 節子に食べ物を食べさせるものの既に手遅れで、節子は終戦から7日後の8月22日に短い生涯を閉じた。 節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を去る。 その清太もまた栄養失調に侵されており、身寄りも無い。 三ノ宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死んだ。 清太は他の2、30体の死体と共に荼毘に付され、無縁仏として納骨堂へ収められた。 wikipedia. 原作とアニメの違いはほぼなし!非常に忠実な再現 そして原作とアニメの違いですが、これは正直言ってほとんどありません。 よくほかの原作小説のドラマ化・アニメ化・映画化は、• 人物設定は変えるわ• 勝手に新たな人物を作るわ、• ストーリーは変えるわ• 全然違う結末にするわ やりたい放題ですよね。 そのような設定変更がアニメ映画にはほとんどありません。 これが驚きでした。 野坂昭如氏自身こう言ってます。 「自分の作品が実写化されれば、もう自分の作品とは関係ない。 いくら換骨奪胎されても構わない。 」 そんなことをおっしゃっています。 しかし、、、 「火垂るの墓についてはちょっと思い入れがある。 だから、あんまり設定変更されたりストーリーをいじくられると嫌だなぁ」 そう思っていたそうです。 そして高畑勲氏からアニメ化の話が。 打ち合わせをしたりして試作や絵を野坂昭如さんに見せました。 野坂昭如さんは驚愕したそうです。 「実写映画では絶対に再現不可能な、戦時中の神戸の街並みや田んぼがそっくり再現されている。 」 そう感じたそうです。 「アニメ恐るべし」という文章も野坂昭如さんが残しています。 節子の年齢は実話と小説で異なる。 アニメは小説に合わせている 節子の違いは? 原作と実話との違いは、節子の年齢ですね。 野坂昭如さんの実際の妹さんは2歳に満たないくらいの女の子でした。 ほとんど喋れもしない。 しかし『火垂るの墓』原作小説およびアニメ版では4歳の妹になっています。 なのでだいぶ自分でも歩けるし、しゃべることもできます。 清太の違いは? 清太の違いはほとんどありません。 14歳の少年。 父親は海軍の大尉で、もともとは裕福だった。 物語の冒頭で神戸の三宮駅で死亡することも同じです。 お母さん(母親)の違いは? 清太と節子のお母さんも、原作とアニメでほとんど変わりがないです。 2人よりも防空壕に先に避難しようとした際に空襲に襲われ全身に大やけどを負います。 上半身を包帯でぐるぐる巻きのミイラにされる。 意識が戻ることなく、清太と話をすることもなく、亡くなります。 おばさんの違いは? 西宮のおばさん。 これもとても重要な人物ですね。 本当に嫌な役になっているこのおばさんですが、原作でも嫌な役は変わっていません。 原作では、2人のお母さんと、おばさんとの間で「もしもお互いが困った場合は助け合いましょう」という約束をしていました。 なので、清太と節子がやってきたときは受け入れますが、• どうしても疎ましくなったり、• 自分の子供の方が可愛かったり、• 愛国心の欠片もない清太のそぶりにイラついたりします。 アニメでは特に言及されていませんが、原作小説では2人のことを 「疫病神」とよんで「横穴にすんどったらええわ」といいます。 その他のシーンも忠実 まあ本当に原作に忠実な映画だなというのは総評です。 これは原作が30ページほどという短い作品であるためでしょうね。 1時間半ほどのアニメ映画で充分に原作の内容を反映できたのだと思います。 節子の汗疹や疥癬で真っ赤になった背中を、川辺で洗ってやるシーン• 畑泥棒して、農夫に見つかり、度がすぎるくらいに殴られるシーン• 交番に連れてかれ、おまわりさんが農夫をなだめるシーン あらゆるシーンが本当に忠実に再現されているなぁと思いました。 戦争が救いがたいのは、敵からの攻撃ももちろんですが、こうやって身の回りの人間関係が根底から裏切られたり覆されたりするということがありますね。 空襲を受けて火事場泥棒を始めた清太。 戦火に燃える街と空の爆撃機を見て 「いいぞ~、やれやれ」とはしゃぐシーンがあります。 ここが、優れた描写だなと思って。 つまり、 清太の周りの人間だけが心がすさんでいるのではありません。 清太と節子はかわいそうなんですけど、清太は決して清い心を持っていたわけではないです。 清太自身も• 人間関係のこじれ• 飢えと泥棒 を経験して、心がどんどん荒んでいくのです。 まとめ 原作小説は読んだ方がいい 火垂るの墓の原作小説とアニメ映画の違いについてご紹介しました。 本当にびっくりするくらい原作に忠実な映画だとわかりました。 ほんとはっきり違うのは、実話における節子の年齢だけですね。 実話では2歳。 原作小説とアニメでは4歳。 だから原作とアニメでは違いはないです。 ほぼ全て、見事なまでに再現されています。 ぜひこれを機会に、野坂昭如さんの原作小説を読んでみてください。 原作小説は文体がすごいんですよ。 1文1文がとっても長くて、人物のセリフも、地の文も関西弁が入り混じってる。 本当にうねうねしている文書というか、擬古文なんです。 だからといって読み難いわけではなく、まぁ俗っぽく言えば「声に出して読みたい日本語」に収録されてもいいような文体なのです。 ぜひこの機会に、原作小説を、お手にとってみてください。 無料でジブリの映画を見れる。 1か月間、DVD・ブルーレイ借り放題 火垂るの墓や、ほかのジブリ映画をフル動画でもう1度見たくありませんか? 高畑勲監督の別作品の「かぐや姫の物語」や「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョとなりの山田くん」なども、絶対見ておきたいですよね でも、ジブリ作品が配信されている動画サービスってないんですよね・・・ でもデイリーモーションやパンドラといったサイトで見るのは低画質だし、危険すぎます。 ところが「無料でDVDやブルーレイをレンタル」できるサービスがTSUTAYAにあったんです。 これを利用すれば、ナウシカも、トトロも、魔女の宅急便も、もののけ姫も、ハウルも、ジブリ作品ほぼすべてが無料で見れます。 なんか難しそうだったんですけど、使ってみると超簡単。 面倒なレンタル・返却作業もなくなって最高です 高等遊民の有料noteの紹介 noteにて、哲学の勉強法を公開しています。 現在は1つのノートと1つのマガジン。 1. 2. 1は 「哲学に興味があって勉強したい。 でも、どこから手を付ければいいのかな……」という方のために書きました。 5つの手順は「絶対挫折しようがない入門書」から始めて、書かれている作業をこなしていくだけ。 3か月ほどで誰でも哲学科2年生レベル(ゼミの購読で困らないレベル)の知識が身につきます。 3か月というのは、非常に長く見積もった目安です。 1日1時間ほど時間が取れれば、1ヶ月くらいで十分にすべてのステップを終えることができるでしょう。 ちなみに15000文字ほどですが、ほとんどスマホの音声入力で書きました。 かなり難しい哲学の内容でも、音声入力で話して書けます。 音声入力を使いこなしたい方の参考にもなると思います。 2は プラトンの主著『国家』の要約です。 原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。 岩波文庫で900ページ近くの浩瀚な『国家』の議論を、10分の1の分量でしっかり追うことができます \無料試し読み部分たっぷり/.
次の兄の清太は山の中で節子の遺体を燃やします。 その骨をドロップ缶の中に入れて、翌朝に山を下りました。 このシーンで、清太は「そのまま郷へと戻らなかった」と言っていたので、節子の骨と一緒にどこかを彷徨っていたのでしょう。 なぜか、死んだはずの節子が清太と一緒にいます。 そして、節子は眠りにつくのですが・・・ 清太は真顔で正面を向きます。 彼の視線の先にあったのは、大都会のビル。 ベンチに座った兄弟の背中と、光り輝くビルが書かれたシーンが描かれ、エンドロールが流れます。 これが「火垂るの墓」のラストシーンです。 謎めいた描写がいろいろありますね! 2人は地縛霊になったのかも? 清太と節子は幽霊として現世に留まっている。 それは裏を返せば 「成仏できない」という意味かもしれません。 一般的な漫画やアニメでは 「幽霊=この世に未練がある存在」という設定が多いです。 具体的には、やり残したことがあったり、誰かを恨んでいて気持ちが晴れなかったりすると、幽霊になって成仏できないワケですね。 逆に、未練がない人や悔いのない一生を過ごした人は、幽霊にならずさっさと成仏します。 でも、節子と清太は幽霊として生き続けているんですよ。 という事は。 清太がやりきれない気持ちを未だに抱えているため、成仏できないのかもしれません。 節子は幽霊になっても無邪気に笑っているだけだったので、恨みがあるワケではなく、自分が死んだことすら自覚していないのでしょう。 流石に、節子は「社会が憎いです」なんて言わないと思うので。 ただ、その場合は微笑みながらビルを眺めるはずです。 でも、清太は真顔(というか、若干うつろな目)でビルを眺めていました。 という事は、あまりポジティブな感情は持っていないのだと思います。
次のちょっと待った!その設定おかしい! とクレームをつけた不届き者・・・じゃなくてある人たちがいました。 それが 元海軍士官たち。 彼らはあの映画のどこに怒りを感じたのか。 大人 の姿をした子供になり、特に昭和の社会史や海軍方面の考察を深め、「歴史狂」となった上で改めてこの映画を見てみると、この映画、脇が甘くツッコミどころが多いのです。 今まで涙に濡れて見えなかったものがクリアになってゆく… なおここから、映画内の矛盾に対して血も涙もない客観的考証をしていきます。 先を読むと『火垂るの墓』のイメージが壊れる可能性があります。 お涙頂戴のかわいそうな映画というイメージを崩したくない方は、此処から先は読まないで下さいなんて言わないことはありません。 ええか、絶対読んだらあかんで。 高雄型の3番艦である。 川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工。 艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。 レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦武蔵に救助された乗組員が翌日の武蔵の沈没を体験したことで知られている。 考察しながら書くのが面倒くさいのでどちらもWikipediaより抜粋 その後、軍艦マーチをバックに敬礼をした兄妹の父が登場します。 ちなみに、原作では「『摩耶』と父の姿を探したが見つけられなかった」となっています。 兄妹の父が海軍大尉だったという設定は、ここで裏付けられます。 何故わかるのかって? 軍服 (正式には『第一種軍装』という冬服)の袖にある模様に注目。 黄色で囲んだ部分を袖章 (そでしょう)と言い、水色の丸にある襟章 (えりしょう)とは別に階級を表す海軍独特のものです。 これは世界中の海軍ほぼ共通のもの。 (袖章一覧) 袖章は各階級によって紋様が違いますが、上のサンプルと比較すると父の袖章は大尉のものだとわかります。 大正11年 1922 11月、淡路島(洲本など)を行啓された摂政宮(のちの昭和天皇)の、海軍礼服姿の写真です。 海軍軍服姿なので袖章がついていることがわかります。 これを見ると同じ幅の金筋が3本。 これは海軍少佐を表し、昭和天皇のご経歴と照合しても間違いありません。 袖章は今の海上自衛官にもあり、今でも士官と内々で呼ばれる幹部には金筋の袖章がつけられています。 ただし、旧軍はイギリス海軍式で海上自衛隊はアメリカ海軍式。 写真のは一本線なので三等海尉、旧軍の少尉候補生ですね。 おそらく幹部候補生学校を卒業したてのペーペー三尉でしょう。 それがどうしたと言えばそうなのですが、この階級が後々議論の的、映画の大きな矛盾となるのでいったん置いておきます。 ここで清太の回想をまとめると。 今の阪急神戸線から見える風景が軍艦丸見えの絶景と客が殺到しました。 阪急も規格が違う宝塚線の車両まで投入してなんとかさばいたものの、最後は変電所がオーバーヒートしてぶっ壊れてしまい、全線運休したという 阪急の黒歴史エピソードがあります。 清太は昭和20年当時14歳という設定なので、昭和5年はそもそも生まれておらずあり得ない。 よって昭和11年のはずですが、原作を読むと「昭和10年」となっていました。 節子ごめん、1年ずれとったわ。 資料を探してると、国立国会図書館にこんなものが転がっていました。 『昭和十一年海軍特別大演習 観艦式神戸市記念誌』(神戸市刊)という観艦式の一次資料です。 映画の中で清太が見たという観艦式の史実のすべてが書かれています。 ちょうどええわと中を見てみると、『火垂るの墓』のシナリオが成立しなくなる、重大な、非常に重大なことが…。 昭和11年の大演習は、阪神沖(大阪湾)に戦艦『長門』『陸奥』を筆頭に100隻以上の艦艇が集まり、大阪湾全海域貸切という大規模なものでした。 大阪府の半分以上の長さほどの海域に艦艇が配置されていることから、今では再現不可能な規模の大観艦式だったことがわかるでしょう。 大元帥陛下こと昭和天皇は、大阪港からお召し艦『比叡』に乗り込んでいるのですが、この観艦式を大阪史サイドから見てみると、この2年前、室戸台風の高潮によって壊滅した 大阪港の復興記念も兼ねていたようです。 どおりで前の観艦式との間隔が短いわけだ。 観艦式という一大イベントに、神戸の街も奉祝という名のお祭りムード。 お店は「観艦式記念セール」を行い、当時の神戸一の繁華街だった元町通りも、下の写真の通り。 (『昭和十一年海軍特別大演習 観艦式神戸市記念誌』より) 当時の神戸の町の夜の光を、『観艦式神戸市記念誌』にはこう書かれています。 観艦式ご盛儀を奉祝するイルミネーションは、(中略)言葉を変へて表現するならば、『光源の街』と象徴しやうか、はた『燃える神戸』とでも表現すべきか、山に、海に、そして大空に、網膜に映るものもの総てが光を放ち、夜の神戸は實に素晴らしい奉祝情景を現出した。 (アニメからの切り取り) 『火垂るの墓』の清太の回想にある、ライトアップされた神戸の街は本当だったということです。 資料中のイルミネーションとアニメの光景がよく似ているので、作画スタッフはこの資料を参考に描いたのかもしれません。 映画の回想の通り、艦艇もライトアップされていることがわかります。 ライトアップされた軍艦を特定したいところですが、全くのノーヒントなのでお手上げです。 シルエットからして駆逐艦か軽巡…と書いたのですが、ブログ読者さんより「 妙高型重巡で間違いありません」という指摘が入りました。 ただし、 観艦式自体は午後2時10分に終了と書かれているので、劇中の夜のイルミネーションの中の観艦式はフィクションです。 この資料を丹念に見ていくと、ある衝撃的なことに気づくこととなりました。 おい、『摩耶』がいないじゃないか!! 「いない」って無意識に擬人化していますが (艦これやりすぎやな)、11年の観艦式に参加した重巡は 『足柄』『愛宕』『鳥海』『古鷹』『青葉』『衣笠』『妙高』『那智』で、『摩耶』の名前はどこを見てもありません。 資料内の複数の項目をチェックしても、『摩耶』の一文字も見当たらず。 これは 観艦式に『摩耶』は不参加だっという証明になります。 というわけで、 『摩耶』は観艦式に参加していない以上、回想に存在するわけがない。 兄ちゃんはウソツキやと節子が泣いています。 原作にも『摩耶』と書かれているのでそうなったのでしょうが、アニメは『摩耶』って名指しにせず、「巡洋艦」でボカしておけばよかったのにね~。
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