注意: 以降の記述には、作品の内容やあらすじ、登場人物などのネタバレが含まれます。 ご理解の上ご利用ください。 20年前のある日の午後、ミヤモトが当時のロケット団ボス・サカキの母に1本の録音テープを提出した。 高感度マイクを使い南米の大密林にて録音したそのテープから自然の音や既知のポケモンの鳴き声などを取り除き、音量を上げて再生すると未知のポケモンの声が聞こえてきた。 現地の伝説で「ミュウ」と呼ばれる幻のポケモンの声であった。 その後ロケット団はミヤモトをリーダーとする大規模な捜索隊を派遣したが、誰も帰ってこなかった。 それから18年後、南米の山脈地帯にあるロケット団の化石盗掘現場にて光る小さな化石が見つかった。 その1cmにも満たない化石をにあるフジ博士の秘密研究所で分析したところ、幻のポケモン「ミュウ」の化石であると判明した。 ロケット団ボス・サカキはその化石からミュウを再生することを提案する。 遺伝子からコピーポケモンを作ることには既に成功していたが、人間のコピーには失敗していることを挙げ、フジ博士は幻のポケモンでもできるかどうかは分からないと答える。 サカキは「人間のコピーなどいらぬ」「金になるのはポケモン」と言う。 フジ博士がコピーの研究を続けているのはただポケモンのコピーを作りたいためではなく、交通事故で亡くした娘・アイを蘇らせたいからでもあった。 人間のコピーは試験管の中で4年間しか生存できないが、一方でポケモンのコピーは普通に生きることができた。 このポケモンの不思議な生命力を研究することで人間のコピーを長生きさせる方法を見つけようとしていたのだ。 永遠の生命力を持つとさえ言われるミュウを再生し、命の秘密が解ければアイも強い命を持てるかもしれない。 フジ博士はガラス管の中のアイにそう語った。 1か月後、ミュウのまつげの遺伝子を元にミュウツーが生まれた。 アイはミュウツーと交信し、いろいろなことを教えた。 しかしコピーのアイは寿命を迎え、消えてしまう。 母親同然だったアイの死、「コピーは元があればいくらでも作り出せる」というフジ博士の発言にミュウツーは動揺する。 モニターでミュウツーの脳波を見ていた研究員の報告を聞き博士は安定剤の注入を指示。 ミュウツーは深い眠りにつく。 自己の存在への疑問を強めながら... ある日長い眠りからミュウツーが完全に覚醒した。 研究員は実験の成功を興奮気味に叫ぶが、桁外れの超能力を発するミュウツーは想像以上に強すぎた。 研究所の自動防御装置に危険であると判断され、攻撃を受ける。 一度は倒れたように見えたが、直後で復活。 怒れるミュウツーは研究所を破壊し尽した。 その後ミュウツーはミュウの声を聞くが、すぐにどこかへ行ってしまう。 「偽者」である自分を相手にしないのかとミュウツーは憤慨する。 そこへ現れたサカキは世界一強いポケモンになれば「本物」のミュウが姿を見せるかもしれないと言い、自分と力を合わせて世界を征服しようと誘う。 ロケット団の秘密兵器として圧倒的な強さを誇ったミュウツー。 しかし次第に自分を金儲けの道具としか考えていないロケット団、金と欲がすべての生き物・人間、その言いなりになるポケモンを軽蔑するようになり、自分が戦う理由や自己の存在意義を考え始める。 そしてある日「少なくとも人間のためではない」という結論に達したミュウツーは力を抑えるためにつけられていた鎖と鎧を外し、ロケット団の本部を破壊してサカキの元から脱走したのであった。 登場キャラクター 人物• ポケモン•
次のANAポケモンジェット1999・JA8288 ポケットモンスターの原点は、に発売された用ソフト『』である。 開発元は。 コンセプトメーカーにしてを務めたのは、同社でもある。 この作品がを中心に、から火が点き大ヒットとなり、以降も多くの続編が発売されている(詳しくは「」を参照)。 ゲーム本編作品だけでなく、作品や関連作品が数多く発売されている(詳しくはを参照)。 ポケモンはゲームのみならず、化、、、と様々なメディアミックス展開がなされ、国外でも人気を獲得している。 ポケモン関連ゲームソフトの累計出荷数は、全世界で2017年11月時点で3億本以上 に、2019年3月末時点で3億4000万本以上に達している。 その中で、メインシリーズの累計販売本数は2016年2月時点での最新作、『』までの25作品で2億100万本となる。 この数字をゲームキャラクター毎のシリーズ別で比較した場合、世界第2位の数値であり(1位はの5億本以上)、1996年のソフト発売以来、ゲームを含めた関連市場(いわゆるポケモン市場)の誕生からの全世界累計市場規模は、2017年3月末現在で6兆円以上にもなる。 現在までに896種類のポケモンが登場している。 より系列にてテレビアニメが放送開始。 のおよび、その仲間と彼らのポケモンたちによる冒険物語を描いた長寿シリーズとなる(詳しくは「」を参照)。 ポケモンバトルの戦術性の高さを再現した TCG 『ポケモンカードゲームシリーズ』も制作されており、TCGプレイヤー層も巻き込んでファンを広げた(詳しくは「」を参照)。 ゲーム『ポケットモンスター』シリーズ 詳細は「」を参照 『ポケットモンスター』シリーズは、「」(以下「ポケモン」)という不思議な生き物が生息する世界において、ポケモンを自らのパートナーとし、ポケモン同士のバトルを行う「ポケモントレーナー」たちの冒険を描く RPG である。 主人公()は、となり旅にでる。 ゲーム内に存在する他のポケモントレーナー達と対戦を多数交え、 を集めポケモンリーグへの出場条件を獲得し、ポケモントレーナーの頂点チャンピオンを目指す。 また、多数の種類のポケモンを捕まえての完成を目指すなどの目的がある。 ストーリーは伝説のポケモンとその力を利用しようとする組織を中心に展開する。 他プレーヤーとの対戦やポケモンの交換ができる通信機能が存在する。 シリーズの舞台は同一世界中の様々な地域(「地方」と称される)である。 また、いずれの地方も現実世界の特定の地域がモデルであり、地理や一部登場キャラクターの設定などがそのモデル地域と大まかに似ていることが多い。 シリーズ一覧 詳細は「」を参照 発売の年表 1996 ・ 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 ゲーム本編作品としては、日本では以下の各バージョンが発売・発表されている。 カッコ内は発売日と対応機種を表している。 (1996年2月27日、 )• (1996年10月15日 、ゲームボーイ)• (1998年9月12日、ゲームボーイ)• 2016年2月27日に上記4作品のニンテンドー3DS版も発売。 このソフトが最初からダウンロードされている本体も初めて日本で販売された。 (2004年1月29日、)• 「ポケットモンスター 赤・緑」のリメイク作品。 (2018年11月16日、)• 「ポケットモンスター ピカチュウ」をベースとしたフルリメイク作品。 (1999年11月21日、共通)• 2017年9月22日にニンテンドー3DS版も発売。 (2000年12月14日、ゲームボーイカラー専用)• 2018年1月26日にニンテンドー3DS版も発売• (2009年9月12日、)• 「ポケットモンスター 金・銀」のリメイク作品。 (2002年11月21日、)• (2004年9月16日、ゲームボーイアドバンス)• (2014年11月21日、)• 「ポケットモンスター ルビー・サファイア」のリメイク作品。 (2006年9月28日、)• (2008年9月13日、ニンテンドーDS)• (2010年9月18日、ニンテンドーDS )• (2012年6月23日、ニンテンドーDS)• (2013年10月12日、)• (2016年11月18日、ニンテンドー3DS)• (2017年11月17日、ニンテンドー3DS)• (2019年11月15日、) ゲーム開発の背景とヒットまでの経緯 ポケモン前史 収集、育成を楽しむ趣味・遊びは以前から存在した。 からに「」ののブームがある。 1988年から1993年にはの『チョコ』が、第10代目の天使悪魔シリーズのシール集めで爆発的なブームとなった。 は自社の雑誌『』、『』やアニメを含む、大規模なメディアミックス戦略でこのブームを後押ししていた。 この路線で、作り込み・対戦型おもちゃや収集・対戦型おもちゃ、さらにはポケモンブームを後押しすることになる。 1989年、ポケモンの生みの親であるが「」を設立し、同社初のゲーム作品『』をから発売。 また同年、任天堂から GB が発売。 携帯機の特性上、ゲームボーイは当初パズルやアクションゲーム向けの機種と見られており、実際にそうしたゲームも多数発売されたが、田尻はのRPG『』の成功を見て、携帯機でもアクションでない分野を追求できると気づいた。 田尻はとりわけゲームボーイの通信機能に着目し、「交換する」という動詞をコンセプトにしたゲームの着想を得る。 また田尻は『』のファンでもあり、同作のカプセル怪獣からも着想を得て、「 カプセルモンスター」というRPGの企画書を書き上げた。 田尻の企画した「カプセルモンスター」はのようなケースに入ったモンスターが、を行き来するというものであった。 田尻はこの企画書を任天堂に持ち込み、それを受け任天堂は開発費の援助を決定した。 後に「カプセルモンスター」の名称は、の問題で商品名に使えないこと・略した時に「カプモン」となり語呂が悪いという理由などから、「ポケットモンスター(略して「ポケモン」)」に改められた。 田尻はノスタルジーを感じさせるカプセルという単語を気に入っており、渋々断念している。 開発 ポケットモンスターは、製作陣のRPGの開発経験が不足していたことやゲームで最も重要な要素である「交換する」ということへの動機付けを見つけられず、開発には長い年月を要した。 その間不足した資金を補うため他のゲームを開発するなどの理由で、ポケモンの開発はしばしば中断された。 1995年頃までに、『』および『』を制作した株式会社から新会社の社長に就任した(のち株式会社ポケモン代表取締役社長)が全体をまとめて方向付けを行う役を担うようになった。 『』は田尻がポケモンを製作する上で参考にしたRPGでもあり、そのためか共通点も多い(RPGでは当時珍しい現代の世界観であることや主人公の設定など)。 また、ゲームフリークと開発委託契約を結び、石原自身がプロデューサーとして数々の企画を任天堂などへと提案していく火付け役ともなった。 当初から開発を支援していた任天堂も製品の完成を粘り強く待ち続けた。 ゲームフリークの制作陣は、当時まだ着目されていなかった「収集、育成、対戦、交換」という要素を徹底的に遊ばせようという方針を定めていた、ゲームボーイの通信機能を活用して「別のソフトとの間で通信を行わないとが完成しない」、「(強制ではないが)自分が育てたポケモンで友達と対戦できる」という仕様はその方針を支えるためにある。 個々のプレイデータには個別のID(数字)と主人公の名前が与えられ、所有するポケモンに対して「親ID」として働き個々のポケモンをさらに個性化する、という仕様も持たせた。 当初はプレイヤーIDによってソフト1本毎に登場するポケモンが異なるという仕様だったが、過剰に複雑化したため、2種類に分けて発売する手法が採られた。 また、当時の主流に比べ大容量のバックアップメモリを搭載する仕様に切り替える事で、150種類全てのポケモンの保存が可能になった。 この「ソフトを2種類にわける」、「大容量のカートリッジを採用する」という案は任天堂のの案である。 当初は1995年秋から年末発売予定であったが 、などが遅れ1996年2月27日に繰り下げた後に 、開発開始から6年経って『ポケットモンスター 赤・緑』は発売を迎えた。 カラーバリエーションは、マリオとルイージの服の色に因んでおり、後に発売される青は2人の「つなぎ」の色に由来する。 発売 1996年当時、ゲームボーイに限らず、市場は停滞していた。 などカラー表現が可能な後続機種もほぼ終息状態にあり、には「次世代機」と銘打ちやが既に登場し、発売から丸7年が経過したゲームボーイは時代遅れと見られていた。 事実『ポケットモンスター』発売直後の時点でゲームボーイにて発売が予定されていたゲームソフトはわずか3タイトルのみであった。 市場にはRPGだけでも既に多数のゲームが発売されており、さらに「過去の機種」であったゲームボーイでリリースされる『ポケットモンスター』はさほど大きな期待を持たれず、年末商戦も逃した。 しかし、「収集、育成、対戦、交換」というゲーム要素が徐々にユーザーの支持を獲得し、さらにユーザー間の口コミで爆発的ヒットへ繋がった。 結果的にポケモンは制作側の期待や予測を越えた大ヒットを記録した。 日本国内での販売本数はゲームボーイ向け『赤・緑・青』で最終的に1023万本である。 「ポケモン後」の市場の変化 『ポケットモンスター』発売以降ゲームボーイ市場、ひいてはゲーム市場自体が変化した。 他メーカーからの後続ゲームソフトも「収集、育成、対戦、交換」の要素を盛り込んだり、数バージョン同時リリースなど、ポケモンに倣った手法が定番化した。 任天堂自身もそうしたゲームの開発に力を注いだ他、「ポケモン頼み」のラインナップに切り替えるなどの路線を歩んだ時期もあった。 しかし、前者については、各社で販売本数に差が付き、結局はゲームソフトの商品力が販売力を決めることを再認識させた。 本作アニメ放映開始後には女子のファンを獲得し、それまで男子中心のゲームボーイユーザーに女子を呼び込んだ。 これ以降、任天堂の携帯ゲーム層に女性ユーザーが増加した。 メディアミックス、関連商品 アニメ 詳細は「」を参照• 『ポケットモンスターアニメコミック サトシとピカチュウ』• 『』 てしろぎたかし• 『』 鷹岬諒• 『』 溝渕誠• 『』 月梨野ゆみ• 『ポケットモンスタールビー・サファイア まんがで読む4つ星攻略』 日下秀憲、吉野恵美子• 『ポケットモンスターエメラルド 挑戦! バトルフロンティア』 伊原しげかつ• 『ポケモン 4コマギャグ劇場』• 『ポケットモンスター 4コママンガ劇場』 (出版局、)• 『ポケットモンスター 4コマDX』 山本まるみ (、)• 『』 ()• 『ポケモン 4コマ笑事典』• 『』 やましたたかひろ• 『ポケモン4コマまんが全集』 春風邪三太• 『ポケモンカードになったワケ』 姫野かげまる ( 、)• 『まんが版 ポケットモンスター全書』• 『』 印照• 『ポケットモンスター おはなし超ひゃっか』• 『ポケモンえにっき ポケモンじまのなかまたち』• 『ポケモンDP4コマ劇場』 松島リュウ• 『ポケモンだにへ ピカチュウのだいぼうけん』 小北和哉、天野雅栄• 『ポケモン不思議のダンジョン ギンジの救助隊』 溝渕誠• 『』 伊原しげかつ• 『』 松島リュウ• 『ポケモン不思議のダンジョン 炎の探検隊』 溝渕誠• 『ポケモンクイズパズルランド ピカチュウは名たんてい』• 『ピカチュウのかくれんぼ』 須藤ゆみこ• 『ピカチュウVSエビワラー』 須藤ゆみこ• Webコミック『』 日下秀憲、山本サトシ• Webコミック『』• 『』 あさだみほ• 『』 、• 『ポケットモンスターB・W グッドパートナーズ』 、 絵本作品• 『なかよし3びき ポケモンたびにっき』 文 - カサハラチュウ 絵 - よしのえみこ その他関連商品 この節のが望まれています。 (共通) ポケットモンスターをモチーフにした。 プレイヤーをポケモントレーナーに見立て、ポケモン同士のバトルを形式の対戦で再現している。 ポケモンずかんカード のブランドで発売されているカード。 ゲーム要素はない。 12種類のパッケージが存在する。 4種類のパッケージが存在する。 全44枚。 読み込む枚数および順番によりトレーナータワーの内容と賞品が変化する。 全66枚。 概要は上記と同様だがマップ構造も変化させる。 ポケモーション ポケモン シール烈伝 みつけてピカチュウ しっぽでバンバン ポケットモンスターの音楽 アニメ版ポケットモンスターシリーズの主題歌・挿入歌はたびたび一新し、膨大な曲数に上る。 最初の主題歌『』は純粋なとしては異例の185万枚のとなった。 詳しくはを参照のこと。 「」シリーズ() アニメ初期にを務めた著書の「小説版ポケットモンスター」。 アニメ第1話から第7話までの内容がノベライズ化されている。 1 』• 2 』 「ポケットモンスター」(、) 雑誌 小学館スペシャル「」(不定期刊行) 歴代悪事団体(とのコラボレーション) 赤・緑・青・ピカチュウ〜X・Yまでの悪事団体のイメージカラーを揃えた8色セット。 ゲームデータの配布と関連商品との連動 シリーズ第1作目『赤・緑』の「」に始まるゲームデータ配信は、シリーズを通して続いている。 配布イベントはさまざまな媒体で随時行われるが、ソフト本体とは別に映画の前売り・鑑賞券、雑誌などの購入特典として配信されることもある。 また、配信されるポケモンが数種類の内でランダムであったり、タマゴの状態(孵るまでどのポケモンか不明)で配信される場合もある。 欧米ではこれらの配信サービスを行うにあたり、ユーザーがソフト本体以外の金銭を払わずとも日本版と同様のデータを受け取れるようになっている。 『赤・緑・青・ピカチュウ』 1996 - 1999 幻のポケモン「ミュウ」はゲーム中では入手できず図鑑完成にも影響しないが、当時大きな話題を呼んだ。 基本的に抽選での当選者のみに配られ、技などを除くと入手方法はなかった。 『金・銀・クリスタル』 1999 - 2002 新たな幻のポケモン「」が登場。 前作におけるミュウと同様に配布が行われたほか、『クリスタル』ではのイベントでセレビィを入手することもできた。 ミュウに関しては配布イベントがなく、前作で配布されたものを「タイムカプセル」で連れてくる必要があった。 『ルビー・サファイア・エメラルド』『ファイアレッド・リーフグリーン』 2002 - 2006 この世代から映画との連動が始まり、前売り券に特定のポケモンまたはアイテムの引換券が付くようになった。 『ダイヤモンド・パール・プラチナ』『ハートゴールド・ソウルシルバー』 2006 - 2010 映画との連動のほかに、を利用したサービスも開始され、自宅の無線LANやDSステーションを利用して特定のデータを受け取ることができた。 『ブラック・ホワイト』『ブラック2・ホワイト2』 2010 - 2013 引き続き映画との連動や、Wi-Fiコネクションによるデータの配信などが行われた。 また、シリーズ初となるWEBサイトとの連動サービス「ポケモングローバルリンク」が始まり、かくれ特性を持ったポケモンや幻のポケモンなどを入手できる。 また、関連商品に同梱のシリアルナンバーを入力して入手できるものもある。 『X・Y』『オメガルビー・アルファサファイア』 2013 - Wi-Fiコネクションに代わりによる配信となった。 映画の前売り券にシリアルナンバーが付与されるようになり、店頭での受け取りは廃止された。 関連施設、イベント 企画(ピカ乗りサマー2008)によりポケモンのラッピングを施したの オリジナルも含め、数多くのポケモングッズを取りそろえるショップ。 ポケモンのキャラクター戦略の拠点として、各国・各地の店舗やまで、多角的に展開する。 名称の由来は、ゲーム内に存在する施設「ポケモンセンター」から。 上記ポケモンセンターの小型店舗として主要ターミナル内などで展開。 ポケモンセンターなつまつり・ふゆまつり 有名百貨店などで開かれる季節限定イベント。 ポケモン・ザ・パーク ポケモンの世界観をモチーフにした遊園地。 2005年に名古屋、2006年に台湾で開催。 名古屋での詳細はを参照。 ポケモンフェスタ 小中高校の夏期休暇期間に開催される、ポケモンおよび任天堂ハードゲームの展示ショウ等のイベント。 携帯ハードゲームやカードゲームの公式大会等も行われる。 JR東日本ポケモンスタンプラリー 小中高校の夏期休暇期間に開催される、におけるの駅を舞台としたスタンプラリー企画。 1997年から開催(2001年除く)。 やおよびを除く旅客各社の他になど一部のやでも実施。 を参照 ポケモンスタンプラリー 2005年の夏から開催。 セブンイレブンの店舗を回り、スタンプを集める。 ポケモン列車 JR東日本が上記のスタンプラリーの一環として、山手線でポケモンのをした列車をほぼ毎年夏に運行しているほか、名鉄でも2007年の春以降、新作映画の宣伝キャンペーンの一環として運行されている。 2008年には、を運航しているとタイアップし、などJR東日本管内のにポケモンのラッピングを施した「 ポケモン」を運行している。 ポケモンドミノキッズひろば 2008年の春からイメージキャラクターとして起用。 ポケモンのグッズがもらえるピザやクイズも登場。 募金活動、被災地をワゴンで訪問して、ポケモン映画の上映やポケモンを使った工作などで子供たちを笑顔にすることを目的としている。 公式ウェブサイトでは活動の様子などを公開している。 ピカチュウ大量発生チュウ! 2014年から8月の期間中にで開催されている。 毎年開催されるポケモンゲームの公式世界大会で賞金(奨学金)付き。 ポケモン竜王戦 2015年から現在まで3回開催。 1回と2回は小学生までが参加対象であったが、3回大会からはその年齢制限がなくなった。 日本国外でのポケットモンスター 日本国外での展開 「ポケットモンスター」は1998年にに出展(一部のポケモンの名称が製品版と異なる)。 これを皮切りに、世界各国でテレビアニメの放送とゲームソフトの発売が開始された。 英語版YELLOW(和名 - )はゲームソフトにおけるの最短記録としてに掲載されている。 CDは初回出荷枚数100万枚を突破し、全米チャート8位を記録した。 』(『おやすみ子供たち』、『おやすみなさい、子供たち! 』、)のでの放送が打ち切られた際、日本では「ロシアの代表的子供番組が『ポケモン』に敗れた」という報道がされた。 の『』での「好きな日本アニメは? 」というアンケートで、アニメ版ポケットモンスターが2位にランクインした。 日本国外版のゲームソフト 英語版ではポケモン名・地名・人名などが国柄に合わせた形に英訳されている。 また民家のが「の像」に、道具の「」「」が「」「」に、である「」が「ポケ」になるなど日本的なものは一部差し替えられている。 なお英語版に続き各国で発売されたソフトは、英語名を元にしている部分が多々ある。 日本語版での『赤・緑』は、日本国外版ではの色と同じ『赤・青』として発売された。 ただし、『青』の内容は日本語版での『緑』と同じものである。 ゲーム内容はほぼ変化はないが、『金・銀』で一部ポケモンの出現種類が異なったり、『ポケモンコロシアム』ではボーナスディスクでの入手ポケモンが差し替えられている。 『ファイアレッド・リーフグリーン』では主人公の家やタマムシデパートにあるのグラフィックが異なっている。 また、DS版ではゲームコーナーの内容が変更になっているものもある。 ソフトである『金・銀』までは名前文字数の関係からか日本国外版との通信は正常に働かないが、になりデータ形式が一新された『ルビー・サファイア』からは日本国外版との通信が可能となっている。 一部の通信では一時的にすることが確認されているが問題はない。 DS版以降では異なる言語のソフトで手に入れたポケモンを通信で手に入れると、ポケモン図鑑にその言語での解説文が追加される(日本国外のGBA版で手に入れたポケモンでも可。 『ダイヤモンド・パール』では一部のポケモンに限る)。 ニンテンドーWi-Fiコネクション・ニンテンドーネットワークを利用した世界規模の通信が可能であることもゲーム内で示唆されている。 日本国内版においても『ルビー・サファイア』以降はこの英語表記を用いている。 発音は もしくは。 この他、英語圏(特にアメリカ)においては「ポケット」という単語にを連想させるニュアンスがあり、実際に南部の一部地方では"pocket monster"がとして通用する。 においては意訳が採用されており、では『神奇寶貝』(訳 - 不思議ベイビー)、では『寵物小精靈』(ペット妖精)である。 正式に翻訳される以前は『口袋怪物』等の直訳が用いられることもあった(口袋はポケットの意)。 2015年7月10日から中国では『精霊宝可夢』(宝可夢はポケモンの音訳)という正式作品名が採用された。 関連ニュース・話題 作品中の名前などの由来 各作品中の固有名詞は、『赤・緑』系、『金・銀』系では各街の名前が色の呼び名(特に)で統一されているなど、何らかのコンセプトに沿って命名されている。 なお、『赤・緑』系のスタート地点となる町「マサラタウン」は、「何色にも染まっていない汚れなき色」という意味で「まっさら」から付けられている。 また、多くの主要キャラクターの名前の由来は植物からとられている。 ポケモンの舞台となっている、、、、、、、は、それぞれ、--、、、、、、がモデルになっている。 バンダイのアンケート が1998年に実施した「好きなキャラクター」のアンケートで、『ポケットモンスター』が男児・女児共に第1位を獲得した。 支持率は男児27. ポケモンおじさん 2000年頃にかけてポケモン関連のテレビCMにレギュラー起用されていたは当時、ファンの間から「ポケモンおじさん」と呼ばれていた。 やにも多数出演している強面の綿引がポケモンゲームにはまっていく様子を愛嬌たっぷりに描いたCM群は、当時大きな話題を呼んだ。 『』TVCM(1998年末、綿引初登場) 『』TVCM(1999年春) この時の綿引を再起用したことにより、「ポケモンおじさん」というキャラクターが明確になっていく。 『ポケモンスタジアム金銀』のCMを最後に担当が替わり、以降は別のタレントが起用された。 多数のバグ ゲームシリーズ初期は、当時では複雑なシステムゆえに群を抜いてが多かった。 なお、出荷ごとにバグフィックスを行うなど、適切な企業努力は行われており、後期出荷のものはほとんどバグは発生しない。 また、GBA版からは配信によるバグフィックスが行われている。 関連事件・批判 ポケモンが人気になる一方、様々な批判や衝突も起きている。 日本国外では、やの違いによるものも起きている。 1997年12月16日、アニメ版『』第38話「でんのうせんしポリゴン」中の演出効果に激しく画面が明滅するものがあり、これを原因として一部の視聴者がなどを発症、病院に搬送される事件が発生。 詳細についてはを参照。 1998年夏のにて、ポケモンのキャラクターを用いたあるが販売された。 任天堂は1999年1月5日に違反(侵害)で所轄のに被害届を提出しした。 同月13日に京都府警が容疑者である作家を九州地方の自宅で逮捕後、京都まで容疑者を護送した。 容疑者はされ、罰金10万円の略式命令が下されている。 日本国外• 日本国外版のテレビアニメにおいては、先述のポケモンショックの回以外にもとなったり、一部の国で未放送の回が存在する。 も参照。 第4話の「サムライしょうねんのちょうせん! 」はでは放送されていない。 日本文化であるが登場したため。 同様の理由で他にも17話がカットされている。 第18話の「アオプルコのきゅうじつ」は日本国外版(を除く)では欠番となっている。 やコジロウのなど一部キャラクターの描写が女性蔑視を助長するとされたため。 第26話の「エリカとクサイハナ」はサトシの女装シーンがあるため、諸国などでは放送されていない。 第35話の「ミニリュウのでんせつ」ではサトシたちが不適切にを突きつけられるシーンがあるため、日本国外版(台湾を除く)では欠番となっている。 第64話「ルージュラのクリスマス」、第251話「こおりのどうくつ! 」は日本国外版(台湾を除く)では欠番となっている。 この二話に登場しているひとがたポケモン「」の黒い皮膚や大きな唇が、を助長するという批判を受けたため。 また、この件を受けて『ファイアレッド・リーフグリーン』以降公式的にルージュラの肌の色はからに変更された(当該記事参照)。 エスパーポケモン「」に対し、がとして提訴。 スプーンを曲げる超能力系キャラとして、自分のイメージを勝手に使われたとして損害賠償を求めたが、「ユンゲラー」と称するキャラクターは日本のみで扱われている商品でありでの訴訟は要件を満たさず、敗訴となった。 アメリカのアニメ番組『』で本作を化した話「」が1999年に放送された。 強烈な諷刺が込められた話で、前述のポケモンショックをもネタに取り込んでいる。 アメリカのアニメ番組『』の第10シーズン第23エピソード「」でもポケモンショックのネタが登場する。 アメリカでは1999年までにポケモンカードを巡り、子供による脅迫、窃盗、強盗、傷害事件が各地で起こった。 また、多くの学校でポケモンカードを発端として、が禁止された。 でも2000年までにカードの流行によるいじめ、恐喝事件などが多発し、多数の学校でポケモンカードが禁止された。 アメリカで子供がモンスターボールを模ったラバー製の玩具で遊んでいた所、誤って飲み込み、喉を詰らせて窒息死した。 では2人の子供が自分のことを「ポケモン」と思い込み、バルコニーから飛び降りて足を骨折したため、一時的にアニメの放映が休止された。 イスラム諸国 2001年に、でイスラム宗教局 Department of Awqaf and Islamic Affairs がポケモンを(禁忌)であるとの(宗教見解)を発すると、でアニメの放送が禁止され、ポケモングッズが店頭から撤去された。 的な思想の色濃いやの法学者がこれを支持すると、サウジアラビアでも同様の禁止処置が取られ、にポケモンの可否をめぐる論争が飛び火した。 などでも、ポケモンが反イスラームではないかと保守派ムスリム法学者から疑われるようになった。 さらには一部で「ポケモンはの宣伝メディアであり、をに改宗させようとするたくらみの一環である」「『ポケモン』とは『私はである』の意味である」「『ピカチュウ』とは『ユダヤ人になれ』の意である」などと全く根拠のないまで広まった。 その後、ドバイなどイスラーム保守派に支配された諸国ではポケモンを反イスラーム的と認定し、ゲームやグッズの販売制限を行った。 サウジアラビアやカタールでは、ポケモン自体がハラームとされ全面禁止された。 サウジアラビアの法学者がポケモンをハラームとし、保守派ムスリムがそれに賛同している理由としては、「ポケモンの後天的形態変化は生物学では『』と呼ばれるものであるが、ポケモンではこれを『』と呼んでいる。 進化論は保守派イスラームからはの無謬性を汚すとしてハラーム扱いを受けている 」ということが挙げられる。 後にこれらの騒動は鎮静化した。 なおやではポケモンは禁止されていない。 レバノンでは、の高位法学者、大アーヤットゥッラーが「ポケモンは合法である」とのファトワー(宗教的見解)も出している。 また、政権下のではポケモン問題調査委員会が設置され、「宗教を利用した反動的なファトワーを出すことは間違いである」「知的な根拠のあるファトワーを出すことが、宗教者の義務である」として、早々に解禁された。 関連書籍• とみさわ, 昭仁『ゲームフリーク 遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティブ集団』、東京、2000年。 畠山, けんじ、久保雅一『ポケモンストーリー』日経BP出版センター、東京、2000年。 宮昌, 太郎、田尻智『田尻智 ポケモンを創った男』、東京、2004年。 中沢, 新一『ポケットの中の野生』、東京、1997年。 ポケモンビジネス研究『ポケモンの秘密』文庫、東京、1998年。 脚注 []• 株式会社ポケモン 2019年3月31日. 2019年8月28日閲覧。 マイナビ 2016年3月17日. 2019年1月1日閲覧。 ただし、『サン・ムーン・ウルトラサン・ウルトラムーン』ではスタンプに変更されている。 (2016年7月31日閲覧)• 対応の機能あり。 当初は限定販売。 一般販売は1999年10月10日から。 2017年6月5日時点の [ ]よりアーカイブ。 2017年6月7日閲覧。 2018年2月8日閲覧。 対応の機能あり。 さん(ゲームフリーク)VSさん(クリーチャーズ)対談 前編 - 任天堂オンラインマガジン2000年7月号。 『ポケモン・ストーリー』(畠山けんじ, 久保雅一、pp. 99)• 1995 Nintendo, 1995 Creatures Inc, 1995 GAME FREAK Incと書かれているのは、これの名残である。 『』1996年2月号とじ込み付録「スーパーソフト・ホット・インフォメーション」には「発売日が1995年12月21日から1996年2月27日に延期された」という記述がある。 『マイコンBASICマガジン』1996年2月号208頁(付録30頁)。 『ポケモン・ストーリー』(畠山けんじ, 久保雅一、pp. 154)• The Magic Box. 2019年1月6日閲覧。 少女漫画誌『』でのコミカライズも始まったのもこの頃である。 また、『クリスタル』からは女の子の主人公を選択できるようになった。 その後は等のと合併してとなったが、ポケモンの分野に関してはKADOKAWAではなくメディアファクトリーの一部の社員が独立して設立したが引き継いでいる。 2013年4月2日• com 2014年7月11日. 2017年8月15日閲覧。 2015年08月09日 11時30分. 2017年8月15日閲覧。 ポケモン公式 2016年6月9日. 2017年8月15日閲覧。 ポケモン公式. 2017年8月15日閲覧。 、、2001年8月29日。 2004. 2004年8月6日• ロケットニュース24 ソシオコーポレーション. 2009年9月12日. の2017年2月2日時点におけるアーカイブ。 2017年1月26日閲覧。 (中国語)• 朝日新聞1999年1月14日朝刊第3社会面• 当初は地上波局であるSBSが放送しており、局内の審議規定に抵触しないよう削除された。 しかし削除エピソードが多くなった結果、半年単位と定められている放映権との整合性に問題が出たため、更に262話から276話がカットされ、最終的に無印編では合計34話放送されなかった。 AG編以降の韓国語版の放送は放映期間や内容に関して制限の少ないケーブルテレビ局が担うことになったため、未放送回は総集編などに留まっている。 [ ] 1999年11月24日• [ ] 1999年11月10日 セントピーターズバーグ・タイムズ• (ポケモンカードは「子供達を食い物にする」)2000年4月25日• ポケモンボールで窒息死した男の子の両親が告訴 1999年11月13日• 2014年4月11日 - (トルコはポケモンの番組に断固たる処置)、highbeam. com(、2000年12月13日の記事より)• 2007年8月28日時点のよりアーカイブ。 2007年11月5日閲覧。 2015年1月9日時点のよりアーカイブ。 2015年6月22日閲覧。 2005年2月23日時点のよりアーカイブ。 2007年11月5日閲覧。 2008年5月25日時点のよりアーカイブ。 2016年2月5日閲覧。 保坂修司、国際日本文化研究センター, 2007. 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 - チャンネル• pokemon -.
次の1996年、任天堂株式会社の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」のソフトとして発売された『ポケットモンスター 赤・緑』。 発売後、そのおもしろさが話題になり、子どもたちを中心に多くの人を夢中にさせた。 その人気は日本国内にとどまらず、海外にまで及び、世界中の人が『ポケットモンスター』、ちぢめて『ポケモン』という存在を知ることとなった。 その中でも、いちばん有名なポケモンといえば「ピカチュウ」である。 『ポケットモンスター 赤・緑』(以下『赤・緑』)では、主人公がパートナーとして選ぶ「フシギダネ」「ヒトカゲ」「ゼニガメ」のような、最初の3匹に入っていたわけでもなく、ゲーム中に「野生のポケモン」として登場する、多くのポケモンの中の1匹であった。 そんなピカチュウの人気は一体どこから生まれたのか。 ピカチュウのかわいらしい容姿は、その要因のひとつかもしれないが、初期のピカチュウのデザインを見返してみると、今よりすこしぼってりとしたフォルムで、どうも最近のピカチュウとは姿が違うように見える。 思い返してみると、人気を得たきっかけのひとつに、『ポケットモンスター』がテレビアニメとして放映されたことがあるだろう。 主人公サトシのパートナーとして登場したピカチュウは、明るくはっきりとした黄色の体に赤いほお、そして「ピカ!」という鳴き声が相まって、多くの人をとりこにしたのだ。 そこからピカチュウの人気にさらに火がつき、『ポケモン』はテレビアニメのみならず映画化もされ、さまざまなグッズも作られ、イベントにも登場するなど、実に多くの分野で活躍するようになっていった。 そんなピカチュウの「誕生」については、これまで詳細が語られてこなかった。 はじめてピカチュウが登場するゲームソフト『赤・緑』の中において、どんな思いがあって、どんな経緯でデザインされたのか— 今回はその「ピカチュウ誕生秘話」を、これまで未公開だったピカチュウの初期段階のイラストを交え、お届けする。 みんなの大好きなピカチュウは、いったいどのようにして生まれたのか!? 発売から22年の月日が経った、いまだからこそ語られる秘話を公開する。 まず、「ピカチュウがどうやって生まれたか、あるいは、誰がデザインしたのか」ということについて、なぜこれまで語られてこなかったのでしょうか? 杉森:ピカチュウに限らず、ポケモンのデザインにおいては、1匹のキャラクターを生み出すのに複数の人間がアイデアを付け加えたり、デザインを修正したりと、複雑な工程を経ていることが多いのです。 そのため、「このポケモンは誰がデザインしました」という風に、簡単に言ってしまうことを避けてきました。 お伝えするならば、細部まで経緯を語れるところでお伝えしたかったんです。 では具体的に、ゲームのキャラクターデザインとは、どういうものなのでしょうか? 杉森:キャラクターデザインだけでなく、ゲームデザインそのものが関わってきます。 ポケットモンスターって、タイトルどおり《ポケットに入るようなモンスター》同士を戦わせるゲームだったんです。 当時僕は、《モンスター》というくらいだから、いかつい見た目をしているものだとばかり思っていたら、途中から「かわいいのもほしいよね」となったんですよ。 社内にデザイナーがあまりおらず、僕がメインでやっていたんですが、男子の目線でデザインしていたので、かわいいポケモンっていう考えには及ばなかったんですね。 なので、にしださんのような女性のスタッフにも、そこから加わってもらったんです。 「いかついポケモンだけでなく、かわいいポケモンも」となった理由は、何かあったんですか? 杉森:ポケモンを戦わせるだけではなくて、「集めて交換する」というコンセプトを強化するためには、交換がおもしろくないといけません。 「交換して、どんなポケモンがほしいか」というと、人の好みは多種多様なので、バリエーションがたくさんなければいけないですよね。 いかついポケモンだけではバリエーションに限界がありましたので、不気味なポケモンとか、大きいポケモンとか、メカっぽいポケモンとか……いろんなパターンを考えた結果「やっぱりかわいいポケモンは、もっと必要だよね」となりました。 もともとデフォルメされた2頭身のポケモンが戦っていたので、かわいくないわけじゃなかったんですが、一般的に怪獣みたいな形のポケモンが大多数をしめていたので、なにかしらもっとかわいいポケモンを足していこう、となりました。 その「ゴロチュウ」は、なぜボツになってしまったんですか? 西野:ゲーム的な仕様で、ピカチュウは1回だけ進化するポケモンになってしまったんです。 杉森:見た目に何か問題があったということではなく、ゲーム的なバランスによるものですね。 西野:ゲームのデータ容量の問題もありました。 当初は2回進化する予定のポケモンの中から、1回だけ進化するように修正したりして容量を節約しなくてはいけなかったんです。 ピカチュウは最初の3匹でもなかったので、そういうポケモンは削る対象になりやすかったです。 杉森:そういえば、名前は、にしださんがつけたんでしたよね。 にしだ:「でんきタイプ」なので、電気が光る「ピカ」って感じで考えて。 「チュウ」は、ねずみを意識していたわけじゃないんですけど、響きで決めたというか、大きさも含めて、いろんな要素を組み合わせて思いついた名前でした。 ピカチュウって特別ねずみっぽいかたちをしていないですし、そもそもねずみポケモンには「コラッタ」がすでに存在していたので、特にねずみにするような意図はありませんでした。 杉森:ねずみポケモンっていうのは後付けでしたね。 ところで、最初に主人公が選ぶ3匹は、どなたがデザインされたのでしょう? 杉森:フシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメは、全部にしださんですね。 にしだ:私は各ポケモンの最終形態から逆算してフシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメのデザインを作っていったんです。 リザードンに進化したときにびっくりしてほしかったので、最初のヒトカゲは、リザードンが想像できないようなものを意識してデザインしました。 杉森:カエル・トカゲ・子ガメなどの小動物を飼うという体験は、現実味があってゲームの入口として親しみやすいですよね。 最初からパートナーキャラがいかついと感情移入しづらいことには、気づいていました……。 杉森さんが「かわいいポケモン」としてデザインされたのは、どのポケモンになりますか? 杉森:ピッピっていうポケモンは僕が考えたんですが、あくまでモンスター型の「かわいい」であり、そこから先の広がりはなくて(笑)。 当初は、どのくらいの人数でやっていたんですか? 杉森:本職のデザイナーだけではなく、プログラマーが兼任していたパターンを含めたとしても3人です。 全員男性でした。 そこに、にしださんを入れて4人です。 ちなみに、ゲームフリークの社員がそもそも10人足らずでした。 西野:人数が少ないので職種が入り乱れて、本当になんでもやっていました。 ゲーム中のリソースも作るし、プログラマーがデザインも作るし。 にしだ:なにせ人が足りなかったので、ほかの作品をやりながらでもお互いに助け合うみたいな感じだったと思います。 そういった状況の中で、ゲームの中にピカチュウを登場させるためには、実際にどんなことをされていたのでしょうか? にしだ:紙にイラストを描くようなことはせず、いきなりパソコンの画面にドットを打っていきました。 頭と体の区別がない「大福」のような生き物の顔をドット絵で……。 当時、私にリスのブームが来ていて(笑)。 リスを飼ってはいなかったんですが、動きがコミカルで飼いたいと思っていました。 そこで、ほお袋に「でんき」を貯められたらいいなって閃いたんです。 ハムスターだとエサをためると体全体がまるくなるんですが、リスはほお袋だけ丸くなるんですよ。 杉森:そのあと、西野の「かわいさ監修」がはたらきます。 西野はこう見えて、かわいいものにとてもうるさいんですよ。 西野:とにかくかわいいものが大好きで。 ピカチュウなんてまず名前の響きでかわいいなって思うじゃないですか。 自分の中でどんどん好きな気持ちが強くなって、どんどんかわいくしてほしくなって。 にしだ:デザインを提出するたび、西野さんから「もっとかわいくして」と言われて、それがくやしくて! 西野さんに首を縦に振ってもらうために頑張っていました(笑)。 具体的なデザインの話をお聞きしたいのですが、ピカチュウの耳の先端が黒いのは、なぜなんでしょうか? にしだ:たぶん「大福」だった頃のなごりですね。 杉森:ゲームボーイって色が表現できなかったんです。 だから、こういう白と黒だけで表現できるわかりやすい塗り分けをしていたんじゃないかな。 しっぽもすごく特徴的ですよね? にしだ:「でんきタイプ」ということを表す、かみなりのパーツをつけたくて、こういうデザインにしました。 背中の模様は? にしだ:そんなに深く考えていませんでしたが『ポケットモンスター』シリーズのバトルシーンでは、自分のポケモンの後ろ姿が常に画面に映るんですよね。 だから、つるんとしているよりは何かあったほうがいいって感じでしたね。 ゲームボーイでは色が表現できなかったということですが、ドット絵を元に描き起こす色付きの公式アート(以下、公式アート)を作成される際に、杉森さんが色を決定したのでしょうか? 杉森:ゲーム開発末期に、スーパーゲームボーイという、テレビにゲームボーイの画面を映して遊べるハードに対応することになりました。 このハードを使うと、ゲームボーイだとモノクロ表示だったポケモンに1色だけ色を付けて表示することができたんです。 そこで、それぞれのポケモンに色を設定していったのですが、基本的には属性色というか、タイプを表現するわかりやすい色を当てることになりました。 ピカチュウに限らず、『赤・緑』当時の公式アートは、すべてドット絵を元にして描いていましたので、黄色のピカチュウの公式アートが誕生したというわけです。
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