プリンセスプリンセスが情熱大陸に! アラフィフメンバーが再結成して仙台ライブ! 解散理由はそもそも何だった? 2019年8月31日 プリンセスプリンセス〔PRINCESS PRINCESS〕といえば、我々アラフォーの 青春そのもの。 伝説のガールズロックバンドの名曲たちとともに、部活動で汗を流したこと、今でも続く友情をはぐくんだこと、異性への思いに人知れず涙を流したことなど、数々の甘く切ない思い出がよみがえります。 1990年代のことでしたね。 現在は「50代だって~いやぁねぇ」のオバチャンバンドになってますけど。 笑 プリプリのwikiプロフィール 【名前】プリンセス プリンセス 【英語表記】PRINCESS PRINCESS 【略称(愛称)】プリプリ 【結成】1983(昭和58)年 【解散】1996(平成8)年5月 武道館公演 【再結成】2012年/2016年 【平均年齢】50歳(執筆時) 【所属事務所】• 1983~85(昭和58~60)年 TDKレコード バンド名「赤坂小町」• 1985~86(昭和60~61)年 音楽座 バンド名「JULIAN MAMA〔ジュリアン・ママ〕」• 1986~96(昭和61~平成8)年 シンコーミュージック バンド名「PRINCESS PRINCESS〔プリンセス プリンセス〕」 【メンバー】• 奥居 香〔現:岸谷 香〕さん(ヴォーカル)• 今野 登茂子さん(キーボード)• 富田 京子さん(ドラム)• 中山 加奈さん(ギター)• 渡辺 敦子さん(ベース/リーダー) 【代表曲(売上げ順)】• Diamonds〔ダイアモンド〕(1989年4月21日) 109. 7万枚 「 プリンセス プリンセス」と改名してからは、 自分たちで歌う曲は必ず自分たちでつくるというポリシーを貫いてきたんだそうです。 プリプリの曲は、どれを聴いても思い出だらけです。 ここには「 M」を載せませんでしたが、もう涙なしには聴けない曲ですよね。 こちらは9曲目に収録されてます。 「 STAY THERE」は英語で、直訳すると「そこにいなさい」。 犬の調教・・・ 笑 「こっちに来るんじゃねーぜ」「そこでジッと待ってやがれ」という意味に取れなくもないんですが。 抽象的すぎて、何を表現しているのかよく分かりません。 あはは。 離れていてもずっと応援してるからね、私を忘れないでね、みたいなことなんでしょうかね。 再結成 仙台ライブ in 2012 プリンセスプリンセスは、2012年4月8日の情熱大陸にも出演していました。 16年ぶりの復活を果たした、このときの平均年齢は46歳。 「 おばんセス おばんセス」にならないよう、「 PRINCESS PRINCESS」の名前を汚さないように、(「本当は出たくない・・・」なんて洩らしながらも)頑張っていらっしゃる姿に心打たれます。 昔の歌手を招いて舞台で歌わせる拷問のような番組がたまに放送されますが、音楽に携わるお仕事を続けていない方に関しては、本当に気の毒でしかありません。 上記のことから、一番苦労したのはヴォーカル担当の岸谷 香さんだったのではないかと個人的には思ってます。 でも、前回の情熱大陸の動画を見て驚きました。 さすがレジェンド。 大したものです。 8か月のトレーニングで16年前に負けずとも劣らない声を出していたのには感心しました。 番組の内容に少し触れてみる 2011年3月11日の早朝、東北地方を襲った東日本大震災。 メンバーは、「 プリンセス プリンセス」としてできることがあることに気付きます。 あるメンバーは連絡のつかない我が子の安否を あるメンバーは夫を あるメンバーは年老いた親を そして友人、知人・・・ それぞれの大切な人を思い、かつて感じたことのない不安感と恐怖感に身を震わせたのでした。 数日後、元プリンセス プリンセスのメンバー間で、お互いの無事を確認する内容のメールが回りました。 全員に一斉メールが回るのは数年ぶりでした。 たくさん話をしました。 そして私達は、1人では決してできない大きな支援が 5人集まればできるということを思い出したのです。 2012年、プリンセス プリンセスは、震災復興支援のために、絶対にないと思っていた再結成を決意いたしました。 この活動における収益金は、復興・復旧のために寄付させていただきます。 2012年1月6日 プリンセスプリンセス (公式サイトより) このとき、5メンバーのうちミュージシャンとして活動を続けていたのは1人のみで、1名は教育に携わる者として活躍、3名は結婚・出産を経て母となっていました。 せっかくやるなら、16年前以上の音楽を・・・!! と練習に励みました。 ライブでは「本当なのよ?」と岸谷さんが笑いながらファンに語りかけていました。 富田 京子さん(ドラム) 8か月の間、密かに練習を重ね、ライブに挑みます。 2012年の再結成に向けての練習では、 ドラムの富田京子さんが息切れ 笑 10年のブランクを感じさせないバチさばきでしたが、体力的には1曲たたき抜くのが限界ダイエットを志しました。 9か月で4キロ落としたんだそうです。 11年前に一般男性と結婚し、現在では2人の子供さんを育てる主婦になっています。 下の子を保育園に預けていますが、延長保育とママ友を頼りに、練習を続けてきたんだそうです。 渡辺 敦子さん(リーダー・ベース) リーダーの渡辺敦子さんはバツイチ。 音楽学校の副校長として多忙な毎日を送っています。 ある日の授業風景では、ミリオンセラー「世界でいちばん熱い夏」の譜面を使って生徒さんにベースを教えていました。 あっちゃんが若い生徒さん等に向かって「この曲を知ってる人?」と聞くと、ほとんどの生徒が手を挙げなかったシーンが印象的でした 笑 彼女は、3・11のとき、何ができるかと考えるまでもなく、瞬間的に「プリプリしかない」と思ったそうです。 改めて拍手を。 岸谷 香さん(ヴォーカル・ギター) ヴォーカルの岸谷 香(旧姓:奥居)さんは、2人の小学生のお母さん。 自分のことは自分でやるように、お母さんがお仕事をするためには あなたたちの協力が必須なのよ、というお話もされたんだそうです。 中山 加奈子さん(ギター) ギターの中山加奈子さんは「 Voo Doo Hawaiians」というインディーズバンドで音楽活動を続けておられます。 『この解散が正しかった』と思える生き方をします この誓いを裏切らない生き方ができているのか? 折に触れ、思い出すのだそうです。 今野 登茂子〔ともこ〕さん(キーボード) 小学校2年生の女の子を持つ専業主婦になっていました。 「 『キーボードの人って一番かわいい人でしょ?』って言われてたよ」って今でも言われることがあるんだそうで、それがプレッシャーなんだと。 申し訳ない気がして、本音を言えば出たくないんだそうです 笑 そんなことおっしゃってましたが、その辺の50歳よりはずっとキレイで、ほっそりしてましたよね^^ それに、突発性難聴を患ったことがあり、耳の聞こえも心配だったんだそうです。 夫は俳優で映画監督の 利重 剛〔りじゅう・ごう〕さん。 この再結成の話に、旦那さまは賛成だったんだそうです。 子供にとって専業主婦のお母さんでしかなかった。 音楽をやって皆に愛されていた姿を1度でいいからぜひ見せてやりたい、と。 ステージを降りて過ごした長い時間は、決してブランクではなく、 彼女たちの生きてきた人生だ。 40歳を超えた今だから出せる音がある。 16年前の解散は間違ったものではなかった。 そう思える人生を送ってこられたはずです^^ メンバーのうち3人は、ライブのスケジュールが決まると、真っ先にしなければならないことがあります。 プリプリが被災地に贈った ここ仙台PITでも、2016年3月11~13日の3日間にわたりライブが行われました。 このライブを皮きりに、名古屋、大阪などを回ります。 チケットの競争率はそりゃもうスゴかったでしょうね。 今回のツアーは「3年ぶりの再結成」ではなく、2012年の再結成の締めくくりとしての活動なんだそうです。 仙台PITが完成し、オープンにこぎつけたことの記念なんですね^^ 仙台PITってどんな施設? プリプリが2012年の1年間の再結成期間に集めた 3億円の寄付金を投じて被災地に建設したライブハウスです。 音楽を通した震災支援を・・・ メンバーとファンの思いが詰まっています。 オープン日の3月11日から情熱大陸放送日の今日(3月13日)まではプリプリのライブ、その後は NMB48(チームM)なんかも来る予定になっているようですね。 (公式サイトより) 4月3日には心屋仁之助さん、4月24~25日は騒動の渦中(もう過ぎた?)のゲスキワも来ます。 【開業】2016年3月11日(震災からまる5年ですね) 【URL】【Tel】022-393-8818 【所在地】〒982-0007 宮城県仙台市太白区あすと長町2-2 【アクセス】 1996年当時の解散理由 メンバーの目指すものに食い違いが生じたこと、だそうです。 新しいプリプリを模索しようとしたメンバーと、これまでに培われたプリプリのイメージを大切にしたい、と考えたメンバー。 平行線をたどり、交わることのないままとなってしまったのだそうです。 不仲になって解散するバンドが多いように思います。 私たちが大好きだった「プリプリ」のままで解散した彼女たちは、ファンの気持ちを大切にする素晴らしい心を持った伝説のガールズバンドです。 やっぱり レジェンドは偉大。 順風満帆なミュージシャン人生ではなかったんですね。 だからこそ、人の胸を打つ音楽がつくれたのかもしれません^^ アイドルガールズバンド【赤坂小町】 プリプリが「 」というバンド名で活動していた時期があることをご存じでしょうか? 当時の雑誌記事を見つけましたので、掲載させていただきました。 「なぜ今 赤坂小町なのか? 女子高生なのか?」 これ読んで憤懣やる方なしな気分にさせられたのが、「 『青春エッチ学園もの』で突っ走ろうと思っている」「時代は今や、ヘルシー女子高生の肩口からふとのぞくブラジャーのひもを求めている」というくだり。 全国からヴォーカルと楽器のトップを集めてきておいて、いくら何でもそれはないんじゃないですかね? 私は プリプリの現在形しか知りませんでしたから、本当~に びっくりぽんでした。 もうね、文句をつけたらとめどなく出てきますよね。 デビュー曲は『放課後授業』。 (ホントは『色仕掛けの放課後』ってタイトルにしたかったんだけど、クレームがついてできなかったんだよね、残念・・・・・) このシングルのコピーが、「ねぇ、放課後しない?」 ちょっぴりエッチしてみたいっていうキャピキャピの女子高生のライト感覚で迫っているわけ。 サウンドのほうは一風堂の貝岳章がアレンジを担当した今流行りのロンドン・ポップ。 ホンネとタテマエを都合よく散りばめた歌詞と、ロンドンのファッショナブルなセンス、久々に女性グループとして芸能界を楽しませてくれるんじゃないかという予感でいっぱいだ。 典型的現代女子風楽団(っていう言葉がもう古いですからね。 「 赤坂小町」の名前で活動していたときの動画も発見。 当時は アイドル的なガールズバンドというスタンスで売り出されていたんですよ。 ビックリしたでしょ?! 奥居 香の無駄遣い!!! TDKに猛抗議したいところです 笑 ご本人たちにお見せしたら赤面してしまうような、フレッシュで古臭い、キャピキャピした感じの仕上がりになってます。 そして、ドラム以外のそれぞれの部門で優勝したのが この4人でした。 そして 赤坂小町として1984(昭和59)年「放課後授業」でデビューしたわけですね。 デビュー当時は、現在はベースを担当しているリーダーのあっこちゃんはギターを弾いていたそう。 さらに、奥居 香さんはベース担当。 デビューシングルの「放課後授業」を出すころ、メインヴォーカルを決めなければ・・・という話になり、一番若い香ちゃんが担当することになったんだとか。 そして同時に、リズムを担当するベースとヴォーカルとの両立は難しいだろうということで、香ちゃんがベースからギターに持ち替え、あっこちゃんがギターをベースに持ち替えて、チームリーダーと音楽的リーダーとを両立することになったんですって。 移籍~アイドルからの脱却 当時の所属事務所「TDKレコード」が開催したオーディションに会社側は反対だったため、赤坂小町は事務所にとってお荷物的存在となっていたようです。 事実、ライブもTDK(親会社)のテープ工場だったり、スーパーの屋上だったり。 しかもスーパーからは「近所から苦情が出るので」と急に中止を言い渡されたりと、不遇な扱いを受けたんだそうです。 移籍した理由は「アイドル的な仕事がイヤだった」なんて言われています。 もちろんそれもあったんじゃないかとは思いますが、TDKの事務所にいたら、ミュージシャンとしての未来に夢が持てないことを薄々感じ取っていたんだと思いますね。 そんな折、赤坂小町は、1984(昭和59)年11月、外部からマネージャーを迎えます。 そしてメンバーに移籍を勧めるんですね。 このマネージャーの営団に我々ファンは拍手を贈らねばなりません。 そして翌年の1985(昭和60)年、移籍を決めるわけですね。 赤坂小町時代からずっと、メンバーは、昼間の練習とは別に、夜間に自分たちで別のスタジオを借り、練習を重ねていたんだそうです。 「 PRINCESS PRINCESS」としてリリースした何曲かの原型はこのころ既に出来上がっていました。 音楽座に移籍した 赤坂小町、ここではバンド名を「 JULIAN MAMA〔ジュリアン・ママ〕」と名乗りました。 けれども、どうやら 音楽座在籍中はミュージシャンとしては鳴かず飛ばすだったようですね。 そして翌年1986(昭和61)年の5月、バンド名を現在の「 PRINCESS PRINCESS」に改め、ソニーからミニアルバム『 Kissで犯罪〔クライム〕』を引っ提げてデビュー。 音楽への情熱だけでは食べていけないのが現実、ということが分ります。 さまざまな大人の事情、お金の事情なんかも絡んでくるわけですねぇ。 いちファンとしては、才能が埋もれたままにならなくて本当によかったと思います。 なお、昨今では、CDを出したい、本を出版したい、などの個人の希望をかなえる可能性を秘めた、 クラウドファンディングというサービスが展開されているようです。 若い人たちも、夢と希望を持って何かを成し遂げる、という体験を積んでほしいものです。 鈴木祥子さんは、 小泉今日子が歌って大ヒットを記録した「 優しい雨」や、 松田聖子さんの「 We Are Love」などの作曲者です。 鈴木さんがバンドに入っていたら、当時の「赤坂小町」はなかったわけで、いきおい、私たちの知っている「プリプリ」もなかったわけですよね。 めぐり合わせや 人の縁って本当に不思議です。 プリプリのメンバーになれる権利?! 「 とんねるずの ハンマープライス」という番組で、「 プリプリの6番目のメンバーになれる権利」を落札した人が居たそうな。 プリプリの大ファンという2名によってデスマッチが繰り広げられ、最終的には 453万円という番組史上最高額での落札となりました。 1995年から3年9か月にわたり放送されてきた同番組の中で 落札額が400万円を超えたのはこの放送回のみだったそうです。 解散を発表したプリンセス・プリンセスに、「解散する前に何かくれ」と番組が交渉。 例えばステージ衣装やギターのピックなどの小物、奮発してくれるならば楽器まるごと、というのが番組側の希望だったようです。 でも、太っ腹(?)なプリプリは、「そんなセコい商品じゃ絶対イヤ!」と番組スタッフに告げ、回答を待たせました。 そして数日間メンバーが頭を寄せ合って考え抜き、提供した商品が、「 あなたがプリンセス プリンセスの6人目のメンバーになれる権」でした。 このとき既にプリプリは解散することが決まっていたわけですから、新しいメンバーとして正式に迎え入れるというわけではありませんでした。 落札者の一番好きな曲をプリプリのメンバーと一緒に演奏し、PVを撮影します。 この撮影時に身に着けるステージ衣装・アクセサリー等はプリプリがセレクトして準備し、撮影終了後は全てプレゼント。 ファン垂涎の一品ですね!!! PV撮影終了後、最終的に落札者の方に贈られた商品は、卒倒するほどの豪華なものでした。 渡辺 敦子さんモデル ベースギター• 中山 加奈さんモデル ギター• 今野 登茂子さんモデル キーボード2台• 奥居 香さんモデル ギター• 富田 京子さんモデル ドラムセット• メンバーのステージ衣装• メンバーの選んだプリプリグッズ• サイン入りCD全タイトル ちなみに、この番組「 とんねるずのハンマープライス」では、落札金の一部を 阪神淡路大震災の復興支援資金として提供していたということです。 東日本大震災の復興も一部では滞りがちということですから、こういった番組がまた作られ、支援の輪が広がるといいなと思います。 なつかしい・・・。 そういえば、野球部の夏の甲子園大会 予選の試合の応援では、「 OH YEAH!」を起用して振付をし、ぽんぽんを持って踊ったものです。 遠くから見てもよく分かるようなオーバーアクション気味のダンスを・・・ということで、大きく見せる振付を心がけました。 exblog. jp*ameblo. com.
次のこの記事はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2020年2月) ダイヤモンド・プリンセス 基本情報 船種 船籍 2004-2014 2014-現在 所有者 運用者 建造所 姉妹船 建造費 5億米ドル 航行区域 日本、アジア ロイド船級協会 信号符字 2HFZ7 9228198 235103359 経歴 竣工 2004年2月26日 就航 2004年3月13日 現況 就航中 要目 115,875 トン 約290 m 全幅 37. 50 m 高さ 54 m(水面上) 8. 05 m デッキ数 18 機関方式 主機関 9L46C(9,450 kW ) 2基 バルチラ 8L46C(8,400 kW ) 2基 (25,000 kW ) 1基 推進器 (20,000 kW) 2基 航海速力 22ノット 旅客定員 2,706名 1,238名 目次• 概要 [ ] アメリカに本拠地がある()の傘下のプリンセス・クルーズ社が運航しているクルーズ客船であり、同型の姉妹船にがある。 客室総数1337室。 は乗客の好みに応じるため7つあり、24時間営業のものもある。 環境規制の厳しい水域でも運航するために、発電機も設置し、また最新鋭の排水処理システムも採用している。 2014年に日本マーケット向けに大規模なリノベーションを行い、展望浴場や寿司バーなどが新設された。 また、をから英国(ロンドン)へと変更した。 2017年にはにて、船体前方部にプリンセスのロゴマークである「シーウィッチ」の塗装が追加された。 近年の運行スケジュールは日本人向けの日本発着のクルーズを主に担当している。 2020年2月初旬に、新型コロナウイルスに感染した人が横浜から香港にかけて乗船していたことが発覚し、横浜港で長期検疫体制に入り、その後も感染していたと判明した人の人数が増え続ける事態となった(の節も参照)。 ディーゼル発電機のうち2基は直列9気筒型 9L46 で、別の2基は直列8気筒型 8L46 であり、それぞれ9,500 12,700 および8,500 kW 11,400 hp のパワーを生み出す。 燃料は (C)である。 ガスタービン発電機のほうは社のLM2500であり、最大で25,000 kW 34,000 hp のパワーを生み出す。 燃料は船舶用ガスオイル(MGO:Marine Gas Oil)である。 このガスタービン発電機のほうが発電費用が高くつくものであるが、主になど排ガス規制が厳しい海域で使用するために設置されている。 着岸用装備 着岸時の操船のために、二台の電気モーターにより駆動される固定ピッチのプロペラも装備している。 また6台の(船首に3台、船尾に3台)も備える。 運航エリア [ ] 主に夏季はアジア、冬季はオーストラリアでクルーズを開始している。 2014年4月〜10月は日本に配船され、20本の横浜発着クルーズを行った。 さらに2015年以降は日本人向けに設備を改造し主に4月〜10月にかけて日本発着クルーズを毎年行い、2019年以降は2月からの開始に延長される予定 [ ]である。 に停泊中のダイヤモンド・プリンセス(2015年8月13日) 建造 [ ] 現在「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれている船体は、もともとは「サファイア・プリンセス」という名で建造開始されたものである。 運航会社は対外的に「ダイヤモンド・プリンセス」という名の船をまず運航する予定だと発表し、それにもとづいてさまざまな段取りをつけていて、2つの船体が(ダイヤモンド・プリンセス号が先行し、サファイア・プリンセス号が後追いする形で)同時並行的に建造されていたのだが、当時「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれていた船体のほうで三菱重工業が火災事故を起こしてしまい、修復作業や作業再開に日数がかかりすぎ納期が大幅に遅れ、運航会社にとって支障が出る、と判明したため、しかたなく姉妹船で無事に建造中だった「サファイア・プリンセス」と呼んでいた船体のほうを「ダイヤモンド・プリンセス」という名前に変更し、火災事故が起きた船体(当初「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれ、先行するはずだった船体)のほうの完成は後になってしまうことは受け入れ、同船体の名称を「サファイア・プリンセス」へと変更した、という経緯がある。 2002年10月1日、午後5時50分頃、長崎市飽の浦町の内にて造船所2180番船として工事中の「ダイヤモンド・プリンセス」(当時「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれていて現在「サファイア・プリンセス」と呼ばれることになった船体)が火災を起こした。 出火時に船内では約1000名の従業員が作業をしていたが全員すぐに避難して怪我人などは出なかった。 稲佐消防署の発表では出火場所は船体中央部付近で全14デッキ(甲板)のうちの下から5番目のデッキ付近から出火したと見られている。 これが現在「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれている船体である。 新型コロナウイルスの集団感染 [ ] 詳細は「」を参照 2020年1月20日に横浜を出発するクルーズ に参加し、1月25日に香港で下船した乗客が、 SARS-CoV-2 に感染していることが判明した。 2月3日にに移動し長期の検疫体制に入ると、他の乗客の感染が相次いで判明し、各国メディアが大々的に報じる事態となった。 当船は、2020年1月20日にを出発後、1月22日にに寄港、1月25日に香港に到着。 その後、やを巡り、2月1日にを経て、2月4日に横浜へ帰港する行程だった。 1月25日、から乗船した中国系男性乗客がで下船した。 男性は乗船中の1月23日から咳の症状を呈し 、下船後の1月30日に発熱、2月1日に新型コロナウイルス陽性が確認された。 当船は香港出発後、那覇への寄港を2月1日に終え、次の寄港地の東京エリアに向かっていたため、関東域で検疫の体制に入ることになった。 行程を早めて2月3日に横浜に戻り、2月4日に横浜港沖にて273名に再検疫を行った。 2月5日には、検査結果が判明した31名のうち、10名に陽性反応が確認され、神奈川県内の医療機関へ搬送された。 2月5日早朝まで船内での行動は制限されておらず、ショーなどのイベントは通常通り開催されていた。 2月5日早朝以降、症状が発生していない乗員・乗客合わせて約3,700人は14日間、船内で待機することとなった。 乗客のうち330人のについては、当初は日本政府が早期下船と帰国を提案したもののが船内に留めることを要請し、2月15日になってアメリカ政府が帰国方針に変えたことが明らかになっている。 乗客は基本的に船室待機で、2月6日より7階や15階のデッキ左舷側に1時間ほど交代で出られるようになった。 [ ]2月9日、運航会社プリンセス・クルーズは全乗客の旅行代金等を払い戻し、無料とするコメントを発表した。 法的には、多国間を移動する船舶の船上は各寄港地の「国内」とは見なされず、はダイヤモンド・プリンセス船内で発生した感染者について、日本国内で発生した感染者として計上していない。 日本政府もWHOの方針に沿って日本国内で発生した感染者として計上していない。 当初乗船していた約3700人は、船長を含めて全員が3月1日までに下船した。 この時点での乗客・乗員の感染者数はのべ706人、うち4人が死亡している。 3月15日、船籍の置かれているイギリスの首相が、日本の総理大臣との電話会談の際、日本の支援に対する謝意を示した。 3月25日午後、除染を終えて横浜港を出港し、改修のためににある工場に向かった。 2020年5月16日午後、横浜港を出港しマレーシアへ向かった。 運行会社によると次第ではあるが2020年10月1日からの日本発着クルーズより再度日本投入予定である。 ギャラリー [ ]• 310. , pp. 310-311. , p. 312. 311. , p. 315. - プリンセス・クルーズ 2020年2月4日• www. niid. 2020年2月29日閲覧。 - BBC NEWS 2020年02月5日• - 産経新聞 2020年2月4日• - 時事通信 2020年2月6日• NHK News Web. 2020年2月23日閲覧。 - 産経新聞、2020年2月10日配信。 2020年2月7日. 2020年2月10日閲覧。 日本経済新聞. 2020年4月3日閲覧。 2020年3月15日. 2019年5月17日閲覧。 日テレNEWS24. 2020年3月25日. 2020年4月4日閲覧。 PrincessCruises 2020年3月31日. ツイート. より 2020年4月4日閲覧。 2020年4月4日閲覧。 ねとらぼ. 2020年4月3日. 2020年4月4日閲覧。 朝日新聞. 2020年5月17日. 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - イタリアのクルーズ客船。 において、2020年4月初旬に新型コロナウイルスの集団感染事件が起こる。 - イギリスのクルーズ客船。 において、2020年2月初旬に新型コロナウイルスの集団感染事件が起こる。 外部リンク [ ]• (英語)• (日本語)• (Diamond Princessを選択) (英語)• - (英語).
次のこの記事はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2020年2月) ダイヤモンド・プリンセス 基本情報 船種 船籍 2004-2014 2014-現在 所有者 運用者 建造所 姉妹船 建造費 5億米ドル 航行区域 日本、アジア ロイド船級協会 信号符字 2HFZ7 9228198 235103359 経歴 竣工 2004年2月26日 就航 2004年3月13日 現況 就航中 要目 115,875 トン 約290 m 全幅 37. 50 m 高さ 54 m(水面上) 8. 05 m デッキ数 18 機関方式 主機関 9L46C(9,450 kW ) 2基 バルチラ 8L46C(8,400 kW ) 2基 (25,000 kW ) 1基 推進器 (20,000 kW) 2基 航海速力 22ノット 旅客定員 2,706名 1,238名 目次• 概要 [ ] アメリカに本拠地がある()の傘下のプリンセス・クルーズ社が運航しているクルーズ客船であり、同型の姉妹船にがある。 客室総数1337室。 は乗客の好みに応じるため7つあり、24時間営業のものもある。 環境規制の厳しい水域でも運航するために、発電機も設置し、また最新鋭の排水処理システムも採用している。 2014年に日本マーケット向けに大規模なリノベーションを行い、展望浴場や寿司バーなどが新設された。 また、をから英国(ロンドン)へと変更した。 2017年にはにて、船体前方部にプリンセスのロゴマークである「シーウィッチ」の塗装が追加された。 近年の運行スケジュールは日本人向けの日本発着のクルーズを主に担当している。 2020年2月初旬に、新型コロナウイルスに感染した人が横浜から香港にかけて乗船していたことが発覚し、横浜港で長期検疫体制に入り、その後も感染していたと判明した人の人数が増え続ける事態となった(の節も参照)。 ディーゼル発電機のうち2基は直列9気筒型 9L46 で、別の2基は直列8気筒型 8L46 であり、それぞれ9,500 12,700 および8,500 kW 11,400 hp のパワーを生み出す。 燃料は (C)である。 ガスタービン発電機のほうは社のLM2500であり、最大で25,000 kW 34,000 hp のパワーを生み出す。 燃料は船舶用ガスオイル(MGO:Marine Gas Oil)である。 このガスタービン発電機のほうが発電費用が高くつくものであるが、主になど排ガス規制が厳しい海域で使用するために設置されている。 着岸用装備 着岸時の操船のために、二台の電気モーターにより駆動される固定ピッチのプロペラも装備している。 また6台の(船首に3台、船尾に3台)も備える。 運航エリア [ ] 主に夏季はアジア、冬季はオーストラリアでクルーズを開始している。 2014年4月〜10月は日本に配船され、20本の横浜発着クルーズを行った。 さらに2015年以降は日本人向けに設備を改造し主に4月〜10月にかけて日本発着クルーズを毎年行い、2019年以降は2月からの開始に延長される予定 [ ]である。 に停泊中のダイヤモンド・プリンセス(2015年8月13日) 建造 [ ] 現在「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれている船体は、もともとは「サファイア・プリンセス」という名で建造開始されたものである。 運航会社は対外的に「ダイヤモンド・プリンセス」という名の船をまず運航する予定だと発表し、それにもとづいてさまざまな段取りをつけていて、2つの船体が(ダイヤモンド・プリンセス号が先行し、サファイア・プリンセス号が後追いする形で)同時並行的に建造されていたのだが、当時「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれていた船体のほうで三菱重工業が火災事故を起こしてしまい、修復作業や作業再開に日数がかかりすぎ納期が大幅に遅れ、運航会社にとって支障が出る、と判明したため、しかたなく姉妹船で無事に建造中だった「サファイア・プリンセス」と呼んでいた船体のほうを「ダイヤモンド・プリンセス」という名前に変更し、火災事故が起きた船体(当初「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれ、先行するはずだった船体)のほうの完成は後になってしまうことは受け入れ、同船体の名称を「サファイア・プリンセス」へと変更した、という経緯がある。 2002年10月1日、午後5時50分頃、長崎市飽の浦町の内にて造船所2180番船として工事中の「ダイヤモンド・プリンセス」(当時「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれていて現在「サファイア・プリンセス」と呼ばれることになった船体)が火災を起こした。 出火時に船内では約1000名の従業員が作業をしていたが全員すぐに避難して怪我人などは出なかった。 稲佐消防署の発表では出火場所は船体中央部付近で全14デッキ(甲板)のうちの下から5番目のデッキ付近から出火したと見られている。 これが現在「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれている船体である。 新型コロナウイルスの集団感染 [ ] 詳細は「」を参照 2020年1月20日に横浜を出発するクルーズ に参加し、1月25日に香港で下船した乗客が、 SARS-CoV-2 に感染していることが判明した。 2月3日にに移動し長期の検疫体制に入ると、他の乗客の感染が相次いで判明し、各国メディアが大々的に報じる事態となった。 当船は、2020年1月20日にを出発後、1月22日にに寄港、1月25日に香港に到着。 その後、やを巡り、2月1日にを経て、2月4日に横浜へ帰港する行程だった。 1月25日、から乗船した中国系男性乗客がで下船した。 男性は乗船中の1月23日から咳の症状を呈し 、下船後の1月30日に発熱、2月1日に新型コロナウイルス陽性が確認された。 当船は香港出発後、那覇への寄港を2月1日に終え、次の寄港地の東京エリアに向かっていたため、関東域で検疫の体制に入ることになった。 行程を早めて2月3日に横浜に戻り、2月4日に横浜港沖にて273名に再検疫を行った。 2月5日には、検査結果が判明した31名のうち、10名に陽性反応が確認され、神奈川県内の医療機関へ搬送された。 2月5日早朝まで船内での行動は制限されておらず、ショーなどのイベントは通常通り開催されていた。 2月5日早朝以降、症状が発生していない乗員・乗客合わせて約3,700人は14日間、船内で待機することとなった。 乗客のうち330人のについては、当初は日本政府が早期下船と帰国を提案したもののが船内に留めることを要請し、2月15日になってアメリカ政府が帰国方針に変えたことが明らかになっている。 乗客は基本的に船室待機で、2月6日より7階や15階のデッキ左舷側に1時間ほど交代で出られるようになった。 [ ]2月9日、運航会社プリンセス・クルーズは全乗客の旅行代金等を払い戻し、無料とするコメントを発表した。 法的には、多国間を移動する船舶の船上は各寄港地の「国内」とは見なされず、はダイヤモンド・プリンセス船内で発生した感染者について、日本国内で発生した感染者として計上していない。 日本政府もWHOの方針に沿って日本国内で発生した感染者として計上していない。 当初乗船していた約3700人は、船長を含めて全員が3月1日までに下船した。 この時点での乗客・乗員の感染者数はのべ706人、うち4人が死亡している。 3月15日、船籍の置かれているイギリスの首相が、日本の総理大臣との電話会談の際、日本の支援に対する謝意を示した。 3月25日午後、除染を終えて横浜港を出港し、改修のためににある工場に向かった。 2020年5月16日午後、横浜港を出港しマレーシアへ向かった。 運行会社によると次第ではあるが2020年10月1日からの日本発着クルーズより再度日本投入予定である。 ギャラリー [ ]• 310. , pp. 310-311. , p. 312. 311. , p. 315. - プリンセス・クルーズ 2020年2月4日• www. niid. 2020年2月29日閲覧。 - BBC NEWS 2020年02月5日• - 産経新聞 2020年2月4日• - 時事通信 2020年2月6日• NHK News Web. 2020年2月23日閲覧。 - 産経新聞、2020年2月10日配信。 2020年2月7日. 2020年2月10日閲覧。 日本経済新聞. 2020年4月3日閲覧。 2020年3月15日. 2019年5月17日閲覧。 日テレNEWS24. 2020年3月25日. 2020年4月4日閲覧。 PrincessCruises 2020年3月31日. ツイート. より 2020年4月4日閲覧。 2020年4月4日閲覧。 ねとらぼ. 2020年4月3日. 2020年4月4日閲覧。 朝日新聞. 2020年5月17日. 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - イタリアのクルーズ客船。 において、2020年4月初旬に新型コロナウイルスの集団感染事件が起こる。 - イギリスのクルーズ客船。 において、2020年2月初旬に新型コロナウイルスの集団感染事件が起こる。 外部リンク [ ]• (英語)• (日本語)• (Diamond Princessを選択) (英語)• - (英語).
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