マリ 逸見泰成を偲ぶ。 カッパンクとマリと最後の思い出。 6月4日朝、アナーキーのマリが死んだ。 未だ57だった。 今のバンド状況を見ると、未だ未だやれる年齢、やっぱ早すぎるよ……。 ましてや、あいつの今のバンドJacksも良い感じで、動いてたし………。 連絡を受けた時は、5日の昼だった。 その時は、未だ詳しい事が何一つ分からず、悪い冗談にしか思えなかった。 信じられない、だって、3月のカッパンクにAUTO-MODのゲストとして出て貰って、Born to Be Wild と I Wanna Be Your Dogで盛り上がったばっかりだし、その夜、マリのうちに泊まって、朝まで呑んでたんだぜ………。 まじピンピンしてたし、何一つ変わった事なんて無かったよ……。 マリの彼女に連絡すると、只々泣くだけで、要領を得なかったが、はっきりした事が一つ、やはりマリは、亡くなっていた。 逸見泰成 通称マリ、もう30年を遥かに越える友人だ。 マリ、マリと呼んでたけど、本名は泰成、マリってのは、単なる辺見マリから取られたあだ名だった訳で、でも俺にとっては、奴は永遠のマリだったよ。 あいつとは、何故か昔から仲が良かった。 あいつは、僕より二つ、三つ若くて、なんにつけても、初々しかったな(笑)!! アナーキーって、元々。 ヤマハ主催のアマチュアコンテスト「EastWest」出身で、しかも暴走族上がりで、しかもパンクだって言うから、ある意味何から何まで斬新で、ある意味ライブハウス上がりの俺達とは大違い(笑)。 そんなスタンスのバンド居なかったから、ライブハウス界隈じゃ、独特のスタンスだったかも知れないな。 当時は、此方から見てると、幾分閉鎖的と言うか、そんなに色々なバンドと付き合ってる感じじゃ無かったな……。 そんな、アナーキーのメンバーの中で、何故かマリだけが俺達とつるんでたな……。 ARBのキース、マリ、布袋、まこっちゃん、ハートビーツのシャイ、そしてAUTO-MODの貢と俺で、良く小滝橋通りにあったロフトで遊んでたな……。 だいたいロフトに行くと誰かがいて、結局朝まで呑む羽目に……。 あの頃の新宿ロフトは、まさに俺達の青春の1ページだった。 いろんな事があった。 マジいろんな事が色々あり過ぎて、人前で言えない様な話しも沢山あっ て………。 でも、其れが、俺達のリアルな時代だったよ。 そして、あれから、35年も月日が経って、でもマリは何も変わらなかった。 良く、遊んだよ、ここ、数年は、AUTO-MODのゲストとして、セッションしたり、飛び入りでステージ乱入して来たり、兎に角俺達は、ダチだったよ。 近頃マリは、Jacksって言うバンドやってて、中々良いバンドで、ライブもコンスタントにやってて、かなり良い感じだったのに。 結局あいつとの最後は、3月19日のカッパンクが最後と為っちまった。 「カッパンク」、パンクの祭典、歌舞伎町をパンクで埋めつくせと、三年前に始まったこのイベント。 歌舞伎町の複数のライブハウスを使い、行き来自由にして、しかも三日間もやっちまおうって言う、かなり凄いイベントで、AUTO-MODは、三年連絡の参加。 残念ながら、今年が最後と言う噂も有り、僕としては、トコトン破茶滅茶に楽しみたかった。 しかもこの日は、同じロフトで、僕は、4時ごろメインステージで、マリのJacksは、バーステージで8時頃ライブやるってんだから、お互いのステージの間も良い感じに空いてるし、こりゃマリ誘って遊ぶしかないなと、即電話。 今回はステッペンウルフのBorn to Be Wild と ザストゥージズのI Wanna Be Your Dogをやる事に。 マリとは、何遍か、セッションらしき事をしているが、大概破茶滅茶になっちまう、まああいつが呑み過ぎて、メチャクチャになっちまうなんてパターンもあるが、兎に角楽しくてメチャクチャになっちまう(笑)。 今回は、メチャクチャに成らない様に、当日入り時間の一時間前にスタジオに入って、一時間程リハーサルしてステージに臨みました。 なんか、往年の名曲のコピーをやるって純粋に楽しいですよね!! それで、ライブはどうだったかって? 当然大盛り上がりで大成功。 そして、やっぱり最後はメチャクチャ(笑)!! AUTO-MODの曲を4曲やった後、マリをゲストに呼んで、ご存知Born to Be Wildを渋めにかまして、なんか、普通のロックバンドみたいに、ご機嫌になって(笑)……。 最後は、ザ ストゥージズのI Wanna Be Your Dogを、当然滅茶苦茶になるまでやってやりました。 最後は、モニタースピーカー客席に投げ込んでやろうとしたけど、頭の上まで持ち上がらなくて辞めました(笑)!! 久しぶりに暴れた感じでしたよ。 なんかマリもガキンチョみたいに楽しそうな顔してたな(笑)!! そして、三時間後には、マリのJacksのステージ。 酔っ払ってたから、よく覚えてないけど、始まりに、なんか俺がMCみたいな事やっちまった様な気が……(笑)。 いやあ、Jacks、メチャロックンロールで、ご機嫌でしたよ!! そしてやっぱりパンクバンドですよ。 メチャ盛り上がり、パンクス達も新しいマリのバンド、しっかり受け止めたって感じ!! なんか、マジ良いイベントだったな……。 マリは、やっぱりパンクスには、大モテ、皆んなマリと写真撮りたがってましたよ!! ヤッパリアナーキーは、パンクバンドだったんですよ(笑)!! こんな写真も、 ハットトリッカーズのケンちゃんとマリ、不思議な写真になりました(笑)。 ライブが終わったら、お決まり新宿西口思い出横丁の「つるかめ食堂に移動して、全開馬鹿乗りで、大騒ぎ(笑)!! マジ、呑みまくりました。 何故か混じってた名古屋のシステムファッカーのゆうたが良い味だしてくれてました(笑)!! 呑んだの初めてだったけど、良い奴でしたよ!! AUTO-MOD、Jacks、SYSTEM FUCKERでライブやりたかったですね………。 そして、最後はメチャクチャに(笑)!! あんな楽しい夜を迎えて三カ月後に、こんな事態を迎えるなんて、夢にも思いませんでしたよ。 最悪と言うか、悲し過ぎますよ……。 つるかめ食堂」でしこたま呑んで、タツシの家に泊めて貰おうとしたら、マリが、俺の家に来いってんで、東武練馬迄タクシーで連れてかれて、マリと朝迄呑みましたよ。 なんか、昔の事から、今の事迄色々喋ったな………。 ひょっとしたら、こんなに喋った事ないくらい話ししたな……。 しかし、まさか、あれが最後に成るなんて……。 帰りは、駅迄送ってくれて。 なんか、桜が、いっぱいあって、お花見しょうぜって言ってたんだけど、天候のせいか、花見は出来なかった。 花見したかったな………。 だからあの日の駅での別れが最後に為っちまった。 あの日の人なつっこそうなマリの顔が、頭から離れられないよ。 昨夜は、何度も繰り返しあのカッパンクでの演奏を見ていた、見れば見る程信じられない。 全てが、悪い冗談にしか思えない。 でも、もう、マリは其処には居ないんだよ。 AUTO-MODが解散したら、マリとバンドやるのも悪くないななんて思って居たのに、あいつのギターで歌う事は、もう出来ないんですね………。 それどころか、もう二度と一緒に酒を呑む事さえ出来ない。 哀し過ぎるよ。 マリ、馬鹿野郎、早過ぎるよ………。 暫く僕は、普通じゃ居られない感じです。 でも、今は、祈るしかない、マリ、お疲れ様、近いうちに、俺もそっちに行くから、宜しく頼むよ!! 兎に角安らかに眠ってくれ、そして先にあの世で、ロックンロールかましてくれよ。 そんな訳で、マリ、暫くおやすみな!! そして、又あったら、ご機嫌なロックンロールしようぜ!! そして又、呑みまくろうぜ!! 其れまで、あばよ!! 安らかに眠ってくれよ!! マリ、永遠に!! Good-bye Mari,see you soon!! AUTO-MOD ジュネ•
次の概要 [ ] の育ちのメンバー 辺見以外は東京都生まれ を中心に、に結成。 メンバーは4人が、1人が出身。 に主催のアマチュア音楽コンテスト「」にて優秀バンド賞、最優秀ボーカリスト賞を獲得し、翌にシングル「ノット・サティスファイド」、アルバム『アナーキー』でよりデビューした。 にはギターのマリが痴話喧嘩の末、元妻を刺し逮捕されたため、「 THE ROCK BAND」と改名するが、メンバーのソロ活動が活発になり活動休止状態になる。 その後、に新メンバーを加え活動再開したが、に活動休止。 マリの死去後に残されたオリジナルメンバー4人でイベントライブ出演。 翌年オリジナル4人での「 亜無亜危異」名義で活動再開。 現ゲタカルビ 活動休止中 、高樹町ミサイルズ、LTD EXHAUST II、SDR(セドロ)、アコギなSS。 通称シゲル。 逸見泰成(へんみ やすなり)- 元ゼロ戦、R、Graffiti Bus ex. 誘蛾燈。 現JACKS、CANDY PASSION、MariCats。 通称マリ(由来は)。 ()の元夫。 離婚後の、のパーティで遭遇した際に、彼女が外国人と親しくしていたことに腹を立てて包丁で刺し、殺人未遂で懲役2年6月のとなった。 、死去。 57歳没。 遺骨は埼玉県内の霊園に納骨され 、また生前の本人の希望により毎年登っていた山に散骨されたという。 のサポートギタリストとしても活躍中。 通称シンイチ。 のサポートベーシストとしても活動中。 通称テラオカ。 小林高夫(こばやし たかお)- 現ゲタカルビ。 のマサヨ率いるナンシースパゲティーでも活動中。 通称コバン。 THE ROCK BAND 1986年 - 1992年 [ ]• 仲野茂 - ボーカル• 藤沼伸一 - ギター• 寺岡信芳 - ベース• 小林高夫 - ドラムス ANARCHY(1996年 - 2001年) [ ]• 仲野茂 - ボーカル• 藤沼伸一 - ギター• 寺岡信芳 - ベース• 仲野茂 - ボーカル• 藤沼伸一 - ギター• 寺岡信芳 - ベース• 小林高夫 - ドラムス• 逸見泰成 - オマモリ 経歴 [ ] 1980年にビクターからデビュー。 当初はソニーからのデビューを予定していたが、ソニーからの誘いのあった同じ日にビクターと契約をした。 仲野茂曰く、「ソニーのディレクターに呼ばれてピラフを奢ってもらったからもうソニーでいいや」と思っていた所、ビクターのディレクターに呼ばれ「自分達のデビューに全てを懸けている」と熱く語ってくれた事と「実はソニーのディレクターが何だか気に食わなかった。 アウディに乗ってきたりムカつくファッションだったし」という理由でそちらを破棄して契約。 デビュー当時は全員の作業服(ナッパ服)を着用し、髪を逆立てたスタイルだった。 クラッシュ、のような性急なリズムと反抗的な歌詞の音楽は、当時の中高生を中心に人気を誇った。 デビューアルバム『アナーキー』はオリジナル曲と、、、、等の曲に日本語のオリジナルの歌詞を乗せたカバー曲を収録し、10万枚以上の売り上げを記録し、一躍人気バンドとなる。 しかし、そのアルバムに収録されていた曲「東京イズバーニング」(クラッシュ「ロンドンは燃えている! London's Burning 」のカバー曲)が、クラッシュの「王室批判」になぞり日本の皇室を揶揄する歌詞であったため、レコード会社が右翼系の政治団体から抗議を受け、回収という措置を取るに至った。 後にこの曲を削除して再発されている。 その後も次々とアルバムをリリースしていくが、演奏能力が一向に上達しない(敢えてしない)パンクバンドとは違い、演奏のレベルがグングン上達していき、純然たるパンクロックには留まらず、クラッシュになぞってレゲエ、ダブ等を楽曲に取り入れた幅広いサウンドも展開し、人気を誇るバンドに成長する。 業界内でもファンは多く、、、、、音楽関係では、の、の、の、の、の、の、の、、の、などがファンを公言しており、山下達郎に至ってはアルバムを発売日に買っていたというエピソードが存在する。 当時はやといったバンドと仲が良かった。 しかし、一方で歌詞の内容やサウンド、アクションに対し、ただのクラッシュの模倣であるという批判も多く、同時期に活躍していたパンクバンドのは当時、雑誌等で「あいつらはライブで『俺達は政治の事を考えてるのに皆外でテニスをやってやがる!』みたいな事言ってるけど、あいつらのライブに行くより外でテニスでもしてたほうが健康的でいい」と、アナーキーの批判を行っていた。 遠藤とは映画『』の出演をめぐり喧嘩になり、で行われた映画の打ち上げに仲野と逸見が殴り込むまでに至った。 その後も長らくお互いがいがみ合っていたが、数年後に出演したイベントでの仲裁によって和解。 その後も順調に活動していたが、1986年にギターのマリが痴話喧嘩の末に元妻(の)を刺し逮捕された為、バンドは活動休止。 残ったメンバーでバンド名を「THE ROCK BAND」と改名し活動を続けるが、メンバー個々の活動が目立ち始めバンドは数年間で活動休止状態に。 1994年と1996年にオリジナルメンバーが結集し、一夜限りの再結成ライブ 正確には94年は新宿LOFTと渋谷ON AIR EASTで2回、96年は赤坂BLITZで1回 を行う(なお、その94年のライブ音源や映像の一部はCD化やVIDEO化されており、「東京イズバーニング」や、未発表曲「タレントロボット」も収録している)。 1996年秋頃に仲野・藤沼・寺岡が新メンバーに当時WRENCH レンチ のドラムス名越藤丸を加え再始動 名越はレンチと並行で活動、レンチの方は2003年脱退。 逸見と小林は参加せず 当時人気のあった色を強めたバンドに生まれ変わり3枚のアルバムをリリースするも、2001年に活動休止。 2006年に全アルバムとオリジナルメンバーによる新曲、さらに秘蔵映像を収録したDVDをセットにしたBOX「内祝」が限定発売され、2008年には監督によるドキュメンタリー映画『アナーキー』が全国各地で公開された。 2017年6月4日、ギター逸見泰成 マリ 死去。 2018年9月5日 18年振り オリジナルメンバーでは33年振り の新作 「パンクロックの奴隷」をリリース。 作品 [ ] シングル [ ]• ノット・サティスファイド /あぶらむし(1980年、VIH-1073)• シティーサーファー/3・3・3 (1980年7月、VIHX-1508) アルバム [ ] ANARCHY [ ]• アナーキー (1980年)• 80維新 (1980年)• 亜無亜危異都市(アナーキーシティ) (1981年)• READY STEADY GO (1981年)• ANARCHY LIVE (1982年)• ANARCHISM (1982年)• REBEL YELL (1983年)• デラシネ (1984年)• BEAT UP GENERATION (1985年)• 亜無亜危異 Vol. 1 (1989年・ベスト盤)• アナーキー Vol. 2 (1989年・ベスト盤)• ANARCHY LIVE 1994 (1994年)• ディンゴ (1997年)• THE BLAST OF 亜無亜危異 (1997年・ベスト盤)• ANARCHY SYNDROME [LIVE] (1998年)• PARADOX (1999年)• FREAKSNEGOTI 2000年• 内祝 2006年・コンプリートBOX、CD13枚+DVD3枚+BOOK1冊 THE ROCK BAND [ ]• アナーキー (1986年)• 四月の海賊たち (1987年) 亜無亜危異 [ ]• パンクロックの奴隷 2018年9月5日 CD+DVD• Q:Are we ANARCHIST? 1999年• 旗をかかげろ (1985年)• HISTORY OF ANARCHY (1996年)• ライブ帝国DVDシリーズ 『アナーキー』 (2005年)• アナーキー (2009年) ボックスセット内祝の特典DVDを再編集したリミックスムービー。 映画上映された後DVD化。 書籍 [ ]• 心の銃 (1980年)• REBEL ROUSER (1983年、)• 亜無亜危異ヒストリー タブーの正体 (2018年11月21日、シンコーミュージック) 脚注 [ ] [].
次のみなさん、 「逸見 泰成 へんみ やすなり 」さんをご存知でしょうか? パンクロックバンド「アナーキー」の元ギタリストであり、 「マリ」と呼ばれていた男性です。 そんな「逸見 泰成 へんみ やすなり 」さんが亡くなったという訃報が入ってきましたので驚きました。 なぜ驚いたかというと年齢がまだ57歳という若さだったという事です。 この若さだったら何かの 病気が原因なのか?死因はいったい何なのか? と気になった次第です。 という訳で、ちょっと調べてみたいと思います。 スポンサーリンク ~死因は病気が原因か?~ 57歳という若さでこの世を去ったとなると死因は病気が原因なのだろうか・・・ と筆者は予想してしまいましたが、あらゆる報道を探しても死因に関する情報はもちろん、病気をしていたという事や入院していたという情報もありません。 亡くなったのが2017年06月04日という事で、報道されるまで2日経っているというところから、通常であれば死因は特定されているであろうと思われます。 となると報道されない理由は1つ 親族の意向によるものだと思われます。 という事はもしかしたら 明かしたくないような死因、もしくは病気が原因だったのかもしれませんね。 こういう場合って後日報道で明らかになる場合もあるかもしれませんが、可能性は薄そうです。 もし死因や病気など亡くなった原因がわかりましたら随時追記していきたいと思います。 スポンサーリンク ~なぜ「マリ」なのか?~ へんみという苗字からマリと呼ばれるようになったそう・・・ 「逸見」・・・いつみと読みがちですが、へんみなんですねー スポンサーリンク.
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