2020年3月30日からスタートするNHKの新朝ドラ「エール(えーる)」は、6年ぶりに男性が主人公となります。 小山祐一のモデルとなるのは天才作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)さん。 歌謡曲、スポーツ応援歌や行進曲、ラジオドラマの主題歌などなど多くの分野で生涯で5000曲を生み出したと言われているまさに天才です! さて、その 小山祐一のモデルになった古関裕而さんとはどんな人物だったのでしょうか。 人柄も素晴らしかったという噂です。 のちに多くの名曲を生み出すことになる天才作曲家・古山裕一である。 老舗の跡取りとして育てられた 小山祐一だが、少々ぼんやりしてい、周りには取り柄がない子どもだと思われていた。 しかし音楽に出会うと、その喜びに目覚め、独学で作曲の才能を開花させてゆく。 青年になった裕一は家族に内緒で海外の作曲コンクールに応募。 このことが裕一の運命を変えてしまう。 なんと応募した曲が上位入賞したのだ。 そしてそれをきっかけに、裕一は歌手を目指している関内音と知り合う。 上京すると、二人には個性豊かな人々との出会いが待っていた。 そして不遇の時代を乗り越え、二人三脚で数々のヒット曲を生み出していく。 しかし時代は戦争へと突入し、裕一は軍の要請で戦時歌謡を作曲することに。 自分が作った歌を歌って戦死していく若者の姿に心を痛める裕一・・・。 戦後、混乱の中でも復興に向かう日本。 引用元 戦中戦後という激動の昭和の時代に、人々の心に寄り添う曲を次々と生み出した主人公の作曲家 小山祐一と、その妻の物語。 朝ドラとしては初となる4Kということで、風景などとても美しい映像となりそうです。 気になるのが主人公の作曲家が実在するかってことですね。 実在するあまりにも有名な作曲家さんがモデルです。 そんな「エール」ですが第2話からは福島を舞台に、古山裕一の子供時代が描かれます。 ご期待ください!! スポンサーリンク 古山裕一のモデルは天才作曲家の古関裕而!どんな人物? 小学校3年生から作曲!? 古山裕一のモデルは、天才作曲家と言われている古関裕而さんです。 福島へ復興の火がやってきました。 心なしか、古関先生もいつもより喜んでいらっしゃるような気がいたします。 — FMポコ 76. 2MHz FMPOCO 古関裕而さんは明治42年【1909年】に福島県の呉服店「喜多三(きたさん)」の長男として誕生。 9代目ということで、かなり老舗の呉服店だったんですね。 古関裕而さんの父親の三郎治さんが音楽好きということで、当時はまだ珍しかった蓄音機(レコードを再生する装置)が家にあり、小さなときから浪曲や民謡などの音楽に親しんでいました。 小学校3年生の時に担任の遠藤喜美治先生の指導で初めて作曲をしたそうです! 蓄音機が奏でる音を楽しそうに聞いている息子を見て、母親が卓上ピアノを購入。 このピアノで作曲を楽しんだそうです。 本当に裕福なご家庭の育ったんですね~。 人生が大きく変わる実家の倒産で音楽を断念? そんな古関裕而さんはクラシックに目覚め、当時の作曲家で指揮者の山田耕筰さんに憧れていたそうです。 小学生のころからクラスメイトが書いた詩に曲をつけたりしていたというので、作曲をするために生まれてきたような人物ですね。 その後、福島商業高校に進んだ古関裕而さんは、当時盛んだったハーモニカ・バンドでの活動に打ち込んで独学で音楽理論を学んだそうです。 ですが古関裕而さんは呉服店の跡取り。 実家が倒産したとはいえ、伯父さんが銀行経営ってやっぱりお坊ちゃまですね。 しかし仕事の傍ら、作曲を続けていた古関裕而さん。 音楽への情熱は止められなかったんですね。 そのころ作曲家で演奏家、そして聖歌指揮者でもあった金須嘉之進さんに学ぶため、仙台まで通っていたそうです。 仕事をしながら、非常に大変だったと思いますが、好きなことだから、頑張れたのかもしれないですね。 「エール」では二階堂ふみさんが演じる関内音になります。 古関裕而さん、古賀政男さん、そして服部良一さんの3人が昭和歌謡の基礎を作った、三羽烏といわれています。 1989年、平成元年に昭和歌謡の重鎮であった古関裕而さんは、80歳でお亡くなりになりました。 古関裕而さんは1969年に紫綬褒章を受章されたほか、1979年には福島市名誉市民の第1号となっています。 福島の英雄として今でも讃えられていて、資料館が福島にあります。 モデルは天才作曲家の古関裕而です。 代表曲をご紹介しましょう! 2019年から2020年にかけて「あなたが選ぶ古関メロディー ベスト30」の募集がされていました。 \昭和の名曲、公開しました!/ 新着動画、公開しました! 今回は昭和の名曲、「高原列車は行く」です。 引用元 ね?知ってるでしょ? 春の高校野球は中止になってしまい残念でしたね~。 夏はどうなるんでしょうか・・・。 それでは古関裕而さんの作品を、年代ごとにみてみましょう。 【そろそろ入学試験】 ワセグリで歌うには、まず早稲田に受からなければなりません それはそう。 そのころから古関裕而さんには軍歌や戦時歌謡といった作曲が依頼されるように。 古関裕而さんは仕事だと割り切って引き受けていたそうです。 「船頭可愛や」は古関裕而さんが26歳のときの作品で、この曲のヒットにより作家として有名になりました。 1936年、プロ野球球団で最初に作られた球団歌が誕生します。 古関裕而さんには軍歌の依頼が多くなり、その中でヒットしたのがこの「露営の歌」や「暁に祈る」でした。 「若鷲の歌」は映画「決戦の大空へ」の主題歌として使われ大ヒットとなります。 1945年ようやく戦争が終わり、明るい歌がどんどん出てくるようになります。 NHK連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」が大ヒット。 長崎の原爆の悲惨さを訴えた「長崎の鐘」は、平和を願って歌われました。 これも古関裕而さんの作品とは意外ですよね~。 そして東京オリンピックの選手団入場行進曲の最初と最後に使われた「オリンピック・マーチ」。 さきほどご紹介した「あなたが選ぶ古関メロディー ベスト30」の公式サイトでは、収録曲の全て、一部分ですが聴くことができます。 その中で萩本欽一さんは古関裕而さんを「仏陀みたいな偉大で謙虚な人」と語っています。 当時萩本欽一さん司会を務めていた「オールスター家族対抗歌合戦」で12年間審査員として出演していた古関裕而さん。 欽ちゃんが「お父さんの歌は音程がズレていましたよね!?」ともちろん笑いを取るために、古関裕而さんに尋ねると「歌の下手な人なんていません。 家族みんなの幸せな気持ちが伝わってきました」とにっこり微笑んで笑い、温かく包みこむように、コメントされていたそうです。 また芸能界は実力よりも、自分を大きく見せる人が多い世界でしたがその中でも、古関裕而さんは、苦労して生み出した曲も、ある日ひらめいた名曲も、10を1程度に小さく話す謙虚な方だったそうです。 その人柄を語る上で、古関裕而さんのお家についても語っています。 偶然にも欽ちゃんと古関裕而さんはご近所さんだったそうです。 古関裕而さんは生涯で5000曲も作曲していて、もちろん「僕も収入は1桁多かったんじゃないかな??」と欽ちゃん。 しかし、古関裕而さんと奥様には欲はなく、いかにもな豪邸ではなく、住宅街に溶け込む慎ましやかなご自宅だったそうです。 着飾ることなく、ご夫婦でお散歩される姿をよく見かけたそうです。 そんな謙虚で偉大な作曲家。 なんだか窪田さん演じる古山裕一そのものですよね! エールの古山裕一にもそんな謙虚な素敵な人がを垣間見ることができると思います。 古山裕一のモデル作曲家の古関裕而のすごい代表曲のまとめ 新しくスタートする朝ドラ「エール」の主人公は、窪田正孝さん演じる古山裕一。 モデルは天才作曲家の古関裕而さんです。 今回はその古関裕而さんの人物像と代表曲についてご紹介させていただきました。 福島の裕福な呉服屋の跡取りとして生まれた古関裕而さん。 小さなときから音楽が身近にある生活をしていたようです。 戦前には早稲田の応援歌、そして戦中には依頼され軍歌を作っていました。 戦後は明るい勇壮な曲をたくさん残しています。 なかでも「栄冠は君に輝く」「オリンピック・マーチ」などはあまりにも有名です。 また「六甲おろし」「モスラの歌」など幅広い音楽も作曲してきた古関裕而さん。
次の「私は、本格的な音楽活動を始めてからの五十年、ピアノは勿論、一切の楽器を作曲の場で使ったことはない。 いつも五線紙とペンだけである。 早速、日本コロムビアに応援歌制作の依頼があり、古関が作曲したのが、現在の「六甲おろし」だ。 正式名称は「大阪タイガースの歌」(当時)。 その後、歌われる機会はあまりなかったが、阪神が日本一に輝いた1985年に一気に広まり、以降はホーム、ビジター問わず、勝利後にファンが歌うのが定番になった。 場内放送が「古関さんをしのんで大会歌を放送します」とアナウンスした。 やがて、歌が流れスコアボードに歌詞が2番まで電光掲示された。 一塁側尽誠学園の応援席では、チアリーダーたちが声援を中断。 リズムに合わせて、応援のうちわが揺れた。 内野席などでも、一緒に口ずさむうち、涙ぐむ年配の人もいた。 1989年8月19日朝日新聞夕刊 いよいよ「伝統の一戦」 古関さんが亡くなってから四半世紀が過ぎました。 クライマックスシリーズに出場する選手の中には、藤浪晋太郎投手(阪神)ら古関さんの死後に誕生した選手もいます。 しかし、古関さんが生み出したメロディは、これからもファンに歌い継がれ、選手たちの気持ちを奮い立たせ続けるはずです。 「伝統の一戦」にふさわしい好ゲームを期待しましょう。
次のエールのモデル 古関裕而(こせきゆうじ)さん 古関金子さん エールの主人公である古山裕一は、 昭和の音楽史を代表する作曲家 である古関裕而さん。 そして妻の音は、古関裕而さんの 妻で歌手としても活躍 した金子さんがモデルになっています。 古関裕而さんの曲は誰もが聴いたことがあります。 えっ!?この曲も古関裕而さんが作曲していたの? っと驚くでしょう。 それほど偉大なる作曲家なんです。 早稲田大学第一応援歌や、慶應義塾大学応援歌、全国高等学校野球選手権大会の大会歌も作曲しています。 また野球ファンからも絶大な人気です。 その理由は、 阪神タイガーズの歌、読売ジャイアンツの応援歌、中日ドラゴンズの歌なども手掛けているからです。 時代を超えて愛され続ける曲を作曲した人がエールのモデルとなっています。 当時、新聞でも大々的に報道されていました。 自分の曲を聞いて戦争へ向かう・・・なんて考えただけでも辛いですよね。 けれどその苦悩を乗り越え、戦後は日本を明るくする為の曲を作曲。 現在も夏の甲子園では古関裕而さんの高校野球大会歌「栄光は君に輝く」は流れています。 様々な葛藤がありつつも音楽を愛し、日本を愛した古関裕而さん。 亡くなった後、国民栄誉賞授与が遺族に打診されていますが、遺族は断っています。 この事を知った時、このような様々な功績を残している古関裕而さんが生きているうちに国民名誉賞を授与して欲しかったなと思いました。 また2009年、JR福島駅の発車メロディ用に30秒にアレンジされた曲が採用されています。 在来線ホーム:高原列車は行く 新幹線ホーム:栄光は君に輝く 同年には福島駅東口広場にモニュメントが設置され、1時間おきに「栄光は君に輝く」「長崎の鐘」が流れています。 福島駅東口の古関裕而先生。 是非、会いに来てください😉 — 信夫山鉄男 yamahei6 30代後半の古関 裕而さんが愛したアルガンを奏でる姿をデザインしています。 これからも古 関裕而 さんの事を知らない世代にも、朝ドラエールを通して語り継がれていくことでしょう!.
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