財団概要 名称 公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団 所在地 〒163-1408 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー8F Tel:03-5353-9521 Fax:03-5353-9523 役員 理事長• 三木谷 浩史 副理事長• 黒柳 徹子 専務理事• 石丸 恭一 常務理事• 工藤 真実 理事• 浮舟 邦彦• 大賀 昭雄• 大塚 雄二郎• 小山田 隆• 篠澤 恭助• 田沼 千秋• 寺田 琢• 遠山 敦子• 野本 弘文• 韓 昌祐• 平井 康文• 宮内 義彦 監事• 岩崎 守康• 山野 政彦 評議員• 伊東 信一郎• 海老澤 敏• 佐治 信忠• 鈴木 勲• 鈴木 啓介• 瀬谷 博道• 日枝 久• 南 直哉 事業運営 公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団は「国と特に密接な関係がある」公益法人に該当いたしません。 平成30年度• 平成29年度• 平成28年度• 平成27年度• 平成26年度• 平成25年度• 平成24年度• 平成23年度• 平成22年度• 平成21年度•
次の概要 [ ] 東京フィルハーモニー交響楽団は、現存する日本最古のである。 2001年にと合併したことにより、現在でも日本最多の楽員数を擁し、ほぼ常に二つのグループに別れて演奏活動を行っている。 などとの結びつきも強く、と平行して伝統的にやの ()での活動を得意としてきた。 現在も、日本で一番頻繁になどでオペラのをしているオーケストラでもある。 を本拠地とし、、でも定期演奏会を行なっている。 沿革 [ ]• (44年) - のいとう呉服店(現在の)に「 いとう呉服店少年音楽隊」が誕生。 (14年) - 「 松坂屋少年音楽隊」に改称。 (2年) - 「 松坂屋洋楽研究会」を松坂屋少年音楽隊と併称。 (昭和4年) - 「 名古屋交響楽団」を松坂屋少年音楽隊と併称。 (昭和7年) - 「 松坂屋管弦楽団」に改称。 (昭和10年) - 「 松坂屋シンフォニー」に改称。 (昭和13年) - 拠点をに移し、「 中央交響楽団」に改称。 (昭和15年) - へ楽団移譲。 (昭和16年) - 秋シーズンより「 東京交響楽団」に改称。 (昭和19年) - この日の第33回定期公演を以て定期演奏会を中止、以後の演奏会は臨時公演になる。 (昭和20年) - で御成門にあった練習所が焼失。 当日はの「」日本初演が予定されていた。 1945年(昭和20年) - 「 東京都フィルハーモニー管弦楽団」として復活。 (昭和21年) - 「 東京フィルハーモニー管弦楽団」に改称。 7月 - 東京都フィルの母体である東京都音楽団解散。 (がに接収されていた)専属のオーケストラとなる。 11月 - 「 東京フィルハーモニー交響楽団」に改称。 (昭和23年) - 東京フィルハーモニー交響楽団としての第1回定期公演。 (昭和27年)12月 - 東京フィルハーモニー交響楽団となる。 (昭和44年) - のちの合併相手となったが設立される。 (昭和28年)10月 - 東南アジア方面(、、、)へ初の海外公演。 (昭和59年) - 第1回ヨーロッパ公演を実施(50日間・7か国・28公演)• (元年) - のと日本で初めて契約を結び本拠地とする。 第2回ヨーロッパ公演を実施(32日間・8か国、20公演)• (平成6年) - 第3回ヨーロッパ演奏旅行として、ドイツ、ベルギー、イギリスに招かれる(23日間、15公演)• (平成8年) - と事業提携。 (平成11年) - ソニー株式会社会長が東京フィル会長に就任。 (平成13年) - と合併。 チョン・ミョンフンがスペシャル・ミュージック・アドヴァイザーに就任。 (平成16年) - と事業提携。 で演奏会を行う。 (平成17年) - 「第7回上海国際芸術祭」にアジア代表として招待され、中国、韓国で7公演を開催。 (平成22年) - ダン・エッティンガーが常任指揮者に就任。 (平成23年) - 楽団創立100周年記念シリーズを開催(~2012年3月)代表取締役副会長が東京フィル会長に就任。 代表取締役会長が東京フィル理事長に就任。 (平成24年) - 公益財団法人に移行。 創立100周年特別演奏会開催(指揮:チョン・ミョンフン)• (平成26年) - 創立100周年記念ワールドツアーを開催(ニューヨーク、マドリッド、パリ、ロンドン、シンガポール、バンコク) 指揮者 [ ] 名誉音楽監督• 首席指揮者• 桂冠指揮者• 名誉指揮者• レジデント・コンダクター• - 東京フィル指揮研究員、副指揮者、指揮者など歴任。 永久名誉指揮者• 永久楽友・名誉指揮者• 財団会長・理事長だった(名誉会長)が、指揮者として客演することもあった。 大賀は音楽学部を卒業しており、音楽の専門教育を受けている。 過去にはソニーより寄付金を受けたり、ソニー社長だったが理事長だった時期もあり、ソニーとの縁が深い。 現在は、ソニー元副会長の(現独立行政法人理事長)が財団会長を、会長兼社長のが財団理事長を務めている。 歴代指揮者 [ ] 東京フィルハーモニー交響楽団(2001年3月まで)• - 元・指揮者。 1939年来日。 中央交響楽団常任指揮者に。 とともに、『』、『』、『』などのオペラの日本初演を数多く行う。 - 1961年から1963年まで常任指揮者をつとめ、現在は専任指揮者。 - 1974年から1991年まで常任指揮者をつとめ、現在は桂冠指揮者。 - 1992年から2000年まで常任指揮者をつとめ、現在は桂冠指揮者。 - 2001年から2010年までスペシャル・アーティスティック・アドバイザーをつとめ、桂冠名誉指揮者を経て、現在は名誉音楽監督。 - 1977年から顧問を務めた。 1991年急逝。 現在は永久名誉指揮者。 - 1993年から1999年まで首席指揮者。 現在は名誉指揮者に。 - 首席客演指揮者を経て、1999年から2001年3月まで首席指揮者。 現在は首席客演指揮者。 、 - いずれもの指揮者を務めたのち、合併後の新楽団の指揮者を務めた。 - 新星日本交響楽団で指揮者を務め、合併後の新楽団の正指揮者を務めた。 提携 [ ] フランチャイズ• - 1989年に日本初のホールとオーケストラ間のフランチャイズ契約を結ぶ。 年8回の定期演奏会を開催。 事業提携• -2001年提携。 旧新星日本交響楽団が行った提携を継承。 区総合庁舎「」内の大ホール「」で、「響きの森クラシックシリーズ」と銘打った年4回の演奏会を行っているほか、文京区内の小中学生を対象とした出張演奏、音楽教室、管楽器クリニック等を実施している。 - 1996年提携。 「千葉定期シリーズ」を市内のホール「千葉市民会館」で行っているほか、市内施設での室内楽コンサート等を実施している。 - 2004年9月提携。 理事長の大賀典雄が私財を投じて軽井沢町に建設し、町に寄附した「軽井沢大賀ホール」で演奏会を行うほか、地元小中学校生を対象にした楽器クリニック等を実施している。 - 2015年3月12日に提携した。 演奏会 [ ]• オーチャード定期演奏会• 、年8回。 東京オペラシティ定期シリーズ• コンサートホール、年8回。 サントリー定期シリーズ• サントリーホール、年8回。 響きの森クラシック・シリーズ• 、年4回。 休日の午後のコンサート• コンサートホール、年4回。 平日の午後のコンサート• コンサートホール、年4回。 その他、ベートーヴェン「第九」特別演奏会、ニューイヤーコンサート、におけるオペラ演奏など。 放送番組などへの出演 [ ]• - で毎週日曜日夜に放送している番組。 作曲家のの司会により、定期演奏会の一部や公開録音によって収録された演奏が全国に流れる。 - が毎年大晦日に系列局を通じて全国に生放送するコンサート。 名前の通りが1社提供。 会場もが使われる。 元日の午前0時ちょうどに終わるように曲が演奏され新年を迎えるという「カウントダウン」が人気である。 - 1958年の第1回目放送から出演。 ・名曲スケッチ- NHKの番組。 演奏を数多く担当し、映像・CDも発売されている。 - NHKの番組。 バックの演奏を数多く担当している。 - のアニメ番組。 番組内のBGM演奏を担当。 - 制作のアニメ映画。 劇中のBGM演奏を担当。 関連項目 [ ]• - 第15回の大会まで、前身のいとう呉服店少年音楽隊が開会式の演奏を担った。 - 同楽団の副理事長を務めている。 脚注 [ ] [] 注釈・出典 [ ].
次の「一緒に音楽をやろう!」1972年、指揮者・小澤征爾のもと楽員による自主運営のオーケストラとして創立。 97年、墨田区に移転。 同年オープンのすみだトリフォニーホールを活動の本拠地とし、日常の練習と公演を行うという日本初の本格的フランチャイズを導入。 その後開催されたロストロポーヴィチによる「ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル」や井上道義指揮の「マーラー・ツィクルス~交響曲全曲演奏会~」などで高い評価を得る。 定期演奏会、特別演奏会のほか、地元の学校体育館や小中学校の音楽授業、各種施設を訪れるなど、地域に根ざした演奏活動も精力的に行っているのが特徴的。 99年、小澤征爾が桂冠名誉指揮者に就任。 2003年から13年までクリスティアン・アルミンクが音楽監督を務め、06年『火刑台上のジャンヌ・ダルク』で第3回三菱信託音楽賞奨励賞、09年『七つの封印を有する書』で第18回三菱UFJ信託音楽賞受賞(以上アルミンク指揮)。 またハイドン没後200年にあたる同09年の2月、フランス・ブリュッヘン・プロデュースによる『ハイドン・プロジェクト』を開催、絶賛を博し第22回ミュージック・ペンクラブ音楽賞を受賞。 11年2月には続編となる『ベートーヴェン・プロジェクト』で再び高い評価を獲得した。 また、11年と12年に中国ツアー、14年には韓国ツアーを行い現地で高い評価を得る。 それに先立ち15年4月からはアーティスティック・アドヴァイザーを務めた。 上岡敏之音楽監督との録音は、就任前の『マーラー:交響曲第1番「巨人」』、音楽監督就任公演である『R. シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」/交響詩「英雄の生涯」』が、オクタヴィアよりリリースされている。 このほか、04年夏からは音楽家・久石譲と新プロジェクト「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」を立ち上げたほか、楽員の自主的な発案「室内楽シリーズ」を始めいずれも高い評価と人気を得ている。 また、久石譲とのコラボレーションとして映画『千と千尋の神隠し』(02年公開)『ハウルの動く城』(04年公開)、『崖の上のポニョ』(08年公開)の管弦楽を担当した。 後に、ロータリー国際奨学生としてハンブルク音楽大学に留学し、クラウスペーター・ザイベルに指揮を師事。 キール市立劇場ソロ・コレペティトール及びカペルマイスターとして歌劇場でのキャリアを開始。 ヘッセン州立歌劇場音楽総監督、北西ドイツ・フィル首席指揮者、ザールランド州立歌劇場音楽総監督、ヴッパータール市立歌劇場インテンダント兼音楽総監督等を歴任。 手兵ヴッパータール響とは二度の日本ツアーも大成功させた。 2016年9月より新日本フィルの第4代音楽監督に就任。 また、コペンハーゲン・フィル首席指揮者、ザールブリュッケン音楽大学指揮科正教授も務める。 2007年第15回渡邉暁雄音楽基金 音楽賞・特別賞、2014年第13回齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。 就任以来、新日本フィルとのCDをオクタヴィア・レコードより継続的にリリース。 2018年8月、5枚目となる最新盤「チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』ほか」をリリースし、好評を博している。 1935年、中国のシャンヤン(旧奉天)生まれ。 幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学んだ。 1959年秋、ブザンソン指揮者コンクールで第1位を獲得。 当時ボストン響の音楽監督であり同コンクールの審査員であったシャルル・ミュンシュに翌夏タングルウッドに招かれ、クーセヴィツキー賞を獲得。 カラヤン、バーンスタインに師事した後、シカゴ響のラヴィニア・フェスティバル音楽監督、トロント響、サンフランシスコ響の音楽監督を歴任し、1973年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任(タングルウッド音楽祭芸術監督は1970年より)、アメリカのオーケストラ史上でも異例の29年という長期にわたってその任を務め、世界最高のオーケストラの一つとの評価を確立した。 さらに2002年秋から2010年春までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。 ヨーロッパでの評価と人気は絶大なものがあり、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、パリ・オペラ座など世界的オーケストラ・歌劇場で定期的に出演。 中国とは1978年に中国政府の公式招待による訪中以来、度々意義深い音楽・文化交流を果たしている。 日本においては、1972年に齋藤秀雄、山本直純、旧・日本フィルを脱退した楽団員らとともに新日本フィルハーモニー交響楽団を創設、数多くの名演を残したほか故・ロストロポーヴィチやポリーニ、アルゲリッチ、ノーマンといった世界的アーティスト達との出会いをつくった。 1985年から始めたコンサート・オペラ形式での上演は現音楽監督アルミンク指揮によるコンサート・オペラの原型となっている。 また1990年から定期的な本格オペラ公演<小澤オペラ・シリ-ズ>を全10回開催。 また1998年長野五輪のために世界の国歌を録音した(PHCP-11033)。 海外公演では香港公演(1973)、ニューヨーク国連本部での「国連デー」の演奏と続くアメリカ・欧州公演(1974)、欧州公演(1985)、故ロストロポーヴィチとの日露親善・ロシア公演(1998)、日中友好30周年記念・中国公演(2002)を実現。 1999年より同桂冠名誉指揮者に就任、以後も定期的に共演を続けている。 1990年に設立された水戸室内管弦楽団の活動に参加、2013年4月より水戸芸術館館長兼 同管弦楽団総監督を務める。 また、2000年からは若い音楽家の教育を目的に、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトを開始。 主な受賞歴として2007年ウィーン国立歌劇場名誉会員への選出、2008年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章オフィシエの授与、フランス芸術アカデミー外国人会員(正会員)への選出、日本での文化勲章受章など。 2011年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。 国立音楽大学在学中よりミニマルミュージックに興味を持ち、現代音楽の作曲家として出発。 1984年の映画「風の谷のナウシカ」以降、「となりのトトロ」など宮崎駿監督の9作品の音楽を担当するほか、北野武監督「HANA-BI」、滝田洋二郎監督「おくりびと」、李日相監督「悪人」など数々の日本映画音楽を手掛けた。 2001年には自らも映画監督としてデビューを果たした「Quartet カルテット」を製作。 音楽・共同脚本をも手掛けた本作品は、日本初の本格的な音楽映画として、モントリオール映画祭のワールドシネマ部門正式招待作品に選ばれた。 ピアノソロや室内楽、オーケストラなど演奏活動も国内外問わず精力的に行っており、2004年にはカンヌ国際映画祭オープニングセレモニーでバスター・キートンの無声映画「The General」のフィルムコンサートを行った。 同年7月、新日本フィルハーモニー交響楽団と「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」(W. )を結成し、初代音楽監督に就任。 2008年8月、「久石譲in武道館-宮崎アニメと共に歩んだ25年間-」では管弦楽と混声合唱・児童合唱、吹奏楽、マーチングバンドを含む総勢1200名の大規模編成を指揮・ピアノ共演し大いなる成功に導いた。 2010年アジア・オーケストラツアーでは10都市16公演を敢行。 1981年「MKWAJU」から2010年「Melodyphony」まで多数のソロアルバムをリリース、作曲だけでなく指揮・演奏・プロデュースをも手掛け、ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立する。 2009年から指揮者としても本格的な活動を開始。 「久石譲クラシックス・シリーズ」では、積極的にクラシック音楽を取り上げ、ライヴ盤「JOE HISAISHI CLASSICS」としてアルバム化。 近年、本名の「藤澤守」名義による新作も発表するなど、その活動は留まることを知らない。 国内ではこれまでに数度にわたる日本アカデミー賞最優秀音楽賞をはじめ数々の賞を受賞。 海外でも音楽監督を務めた韓国映画「トンマッコルヘようこそ」や中国映画「おばさんのポストモダン生活」で各国の最優秀音楽賞を受賞。 2009年紫綬褒章を受賞。 今月の公演.
次の